故・美空ひばりさんを記念して作られた、京都にある「京都嵐山美空ひばり座」。
「負債は約10億円?」客足遠き消滅危機
ひばりさんは1989年6月24日に、52歳の若さで亡くなった。その直後、筆者はひばりさんの遺児で未成年だった加藤氏に、女性誌での手記執筆を依頼するために接触したことがキッカケで、食事をするなどして交流を深めた時期があった。
そのころから"ひばり記念館"の構想は持ち上がっていた。建設候補地は、ひばりさんの出身地の横浜。それに、ひばりさんの"第二の故郷"と言われていた京都の2案があった。
ところが、ひばりさんの"命の恩人"と言われて、加藤氏の後見人になった九州在住の実業家のU氏が、ひばりさんの大半の遺品を持ち出して、94年に京都の嵐山に「美空ひばり記念館」をいち早くオープン。仕方なく、加藤氏は美空ひばり記念館に業務提携という形で参加した。
「美空ひばり記念館」は、オープンした年には入場者数100万人を突破。4年目には300万人を超え、嵐山の新名所になった。ところが、ファンの高齢化も進んで、年々客足が鈍り、2006年に閉館を余儀なくされた。加藤氏は忸怩たる思いがあったのだろう。多少の無理もあっただろうが、閉館後の施設を18億円で買い取って、08年に「京都嵐山美空ひばり座」としてリニューアルオープンした。しかし、大勢は変わることなく、現在、一説には約10億円の負債を抱えていると言われている。
生前のひばりさんの秘蔵映像や遺品などのコレクションが収蔵されているテーマパークだ。そんな同館が経営危機に陥り、ひばりさんの息子で「ひばりプロダクション」社長の加藤和也氏が、大手パチンコ機器メーカー・京楽を通じて、吉本興業との合弁会社「KYORAKU吉本ホールディングス」に業務提携を持ち掛けていたことが、筆者の取材で明らかになった。
打開策として、09年にパチンコ台「ぱちんこ 爽快 <美空ひばり不死鳥伝説>」を発売したのがキッカケで親しくなった京楽のトップに業務提携を持ち掛けたようだ。京楽側は、KYORAKU吉本・ホールディングスのパートナーで、劇場や小規模テーマパーク経営の実績がある吉本の幹部に相談。両者は現地を視察したが、商売にはならないと判断したようだ。
吉本は5月に悲願だった「京都花月」を復活させる。今はとても、ひばり座にまで手が回らない状況だ。今年6月24日に、ひばりさんの23回忌法要を迎えるというのに寂しい話だが、これも時代の流れかもしれない。
ところが、ひばりさんの"命の恩人"と言われて、加藤氏の後見人になった九州在住の実業家のU氏が、ひばりさんの大半の遺品を持ち出して、94年に京都の嵐山に「美空ひばり記念館」をいち早くオープン。仕方なく、加藤氏は美空ひばり記念館に業務提携という形で参加した。
「美空ひばり記念館」は、オープンした年には入場者数100万人を突破。4年目には300万人を超え、嵐山の新名所になった。ところが、ファンの高齢化も進んで、年々客足が鈍り、2006年に閉館を余儀なくされた。加藤氏は忸怩たる思いがあったのだろう。多少の無理もあっただろうが、閉館後の施設を18億円で買い取って、08年に「京都嵐山美空ひばり座」としてリニューアルオープンした。しかし、大勢は変わることなく、現在、一説には約10億円の負債を抱えていると言われている。
生前のひばりさんの秘蔵映像や遺品などのコレクションが収蔵されているテーマパークだ。そんな同館が経営危機に陥り、ひばりさんの息子で「ひばりプロダクション」社長の加藤和也氏が、大手パチンコ機器メーカー・京楽を通じて、吉本興業との合弁会社「KYORAKU吉本ホールディングス」に業務提携を持ち掛けていたことが、筆者の取材で明らかになった。
打開策として、09年にパチンコ台「ぱちんこ 爽快 <美空ひばり不死鳥伝説>」を発売したのがキッカケで親しくなった京楽のトップに業務提携を持ち掛けたようだ。京楽側は、KYORAKU吉本・ホールディングスのパートナーで、劇場や小規模テーマパーク経営の実績がある吉本の幹部に相談。両者は現地を視察したが、商売にはならないと判断したようだ。
吉本は5月に悲願だった「京都花月」を復活させる。今はとても、ひばり座にまで手が回らない状況だ。今年6月24日に、ひばりさんの23回忌法要を迎えるというのに寂しい話だが、これも時代の流れかもしれない。