最近になってようやく

「あきらめよう。」

「認めよう」

と思ったことがあります。

 

 
 
それは・・・
 
 
 
年齢に伴う
身体の変化。
 
 
 
 
こんにちは。
がんばり屋さんの心に寄り添うカウンセラー
いとうともよ(ともよん)です。
 
 
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年齢のせいにするのは
「かっこ悪い」
「言い訳だ」
と思ってました。
 
 
 
だけどね、
そうじゃないんだな
と思ったのです。
 
 
 
そんな発想こそが
自分の今までを否定している
ないがしろにしてる行為だ
と思いました。
 
 
 
 
私はいわゆる
アラフィフ世代ですが
この一年でだいぶ
身体が悲鳴をあげるようになりました。
 
 
 
これまでよくやってきたと思います。
 
 
 
あちこち痛みや故障が出てきて
当たり前です。
 
 
 
車は2年ごとに車検をして
10年も乗ったら
乗り換える人も多いでしょう。
 
 
 
それ以上乗り続ける時には
今まで以上に細やかに
いろんな所をチェックして
いろんなケアをしながら
大切に乗り続けることでしょう。
 
 
 
私の身体もこの世に生をうけて
来年で48年です。
 
 
 
あちこちいろいろ
不具合が出てきて当たり前なのに
なんでそれを
「年のせいにするな」とか
「言い訳だ」とか言うんだろう。
 
 
 
よく頑張ってきたね
どうもありがとう。
少しこの辺から
ペース落としてゆっくりいこうか。
調子が悪いところはない?
あるなら治そうね。
 
 
 
 
まだまだ一緒に
いろんなところに行きたいし
いろんなことを体験したいからね。
 
 
 
そんな愛ある言葉と態度を
とってあげられないんだろう。
 
 
 
なんてヒドイ扱いをしているんだろう。
 
 
 
自分の身体に対して
感謝もなにもない。
 
 
 
 
 
今まで歌って踊って
子供たちを産んで
あちこち動き回って
笑って泣いて
いろんなことができたのは
この身体があったからじゃないか。
 
 
 
 
それを当然のこととして
「これからも今までのように
同じようにしなさい。
なんで若い人と同じように
動かないんだ。」
というのは、
なんて酷なことを要求しているんだと思う。
 
 
 
つい最近まで
あちこち身体が痛むのを
恥ずかしいと思っている自分がいました。
 
 
 
いわゆる「おばさん」になっていく、
年をとって身体が
うまく動かなくなっていく自分を
否定していました。
 
 
 
「おばさん」を笑い
「おばさん」を否定している。
 
 
 
尊敬していいことなんだよ。
 
 
 
今までよくがんばってきたねと。
 
 
 
自分の血肉を与えて
人間を3人育成したのに
 
 
「悲鳴をあげるな」
「もっとがんばれ」
「美しくあれ」って
(ここでいう美しいの意味は
細胞レベルの美しさ・若さを求める
生物学的な意味)
どんだけスパルタなんだ。
 
 
 
年を重ねて故障が出る自分の身体を
きちんと尊敬をもって
ケアをしてあげよう。
 
ちゃんとがんばってきたことを
認めてあげよう。
 
 
そう思うようになりました。
 
 
 
子どものケガの通院は
コツコツ通うくせに
自分の身体の不調は
「めんどくさい」と後回し。
 
 
もうそういうのを
やめにしようと
今自分と約束しています。
 
 
 
すぐに自分との約束やぶるから
何度も何度も言い聞かせてます。
 
 
 
故障をちゃんと認めて
ちゃんとケアをして
ちゃんといたわって
自分を愛しながら
やわらかくてあたたかくて美しい
おばさんになりたい。
 
 
 
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ということで

明日は首の治療です(笑)

 

 

1年前に首を痛めて

とうとう何もしていなくても痛い

そんな状態になってしまいましたっ!!

 

 

ほんとーーーに

ごめんなさい。

 

 

 

病院でちょっと施術してもらったら

首の可動域が広がって

おどろきましたわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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