先日長女が高校を卒業しました。
去年の1月、ギリギリで
全日制高校から
通信制高校へ転学。


全日制で当たり前だったことが
通信制では当たり前じゃない。



あの日、通信制高校で
個人面談をしてくれた先生の
優しく柔らかで懐の深い言葉。


先の見えない不安な心に
優しい光を与えてくれた。





通信制高校の卒業式は
とても、とても、特別だった。


私は自分の子供の卒業式だけでなく
来賓として卒業式に参加もするので
たくさんの卒業式を体験してる。


毎回、感動する。


素敵な言葉を
暖かい空間を
これまでたくさん
共にさせていただいた。



でも、通信制高校の卒業式は
その中でも特別な式だった。



少人数で、会場も借り物で
みんなそれぞれが
心に何かを抱えていて
苦しんで
苦しんで
苦しんだ先の
卒業式。



それをぜんぶ見てきた
先生と
保護者と
そして、本人。


そして、それを見守る
現在進行形の在学生たち。


卒業に際して贈られる言葉は
理想を積み重ねた
キラキラした言葉ではなく


何年もたくさんの葛藤をしながら


生きて
生きて

この日を迎えた
みんなに贈られた言葉。


ひとつひとつが
とても心に沁みた。



あの日個人面談をしてくれた先生は
今年度はキャンパス長になっていた。



そんな彼の言葉。



「今、あなたは幸せですか???」



特別なことでなくていい。


当たり前のことが
当たり前にできるということ。


なんでもない一日に
幸せを感じられるか。


そこにある幸せに気づけるかどうか。


幸せは自分で気づくものだと
私は思う。


君たちは
たくさん苦しんだ。


そして、それを乗り越えてきた。



これから先
壁にぶつかることもあるだろう。


君たちの周りには
あなたのことを大切に思う人が
たくさんいる。


あなたが苦しみながら
生きて、乗り越えてきた
その日々を
知っている人がいる。

そのことを
忘れないでほしい。



キャンパス長の言葉は
私にとっては
心屋のセミナーのようだった。


多分、この学校でなかったら
彼女は卒業できなかっただろう。



私は涙はとまらないし
途中、足のキズは痛いし

心に沁みすぎて
何を言ってたか
数時間後にはすっかり忘れ

旦那氏に
「どんな事話してたんだっけ?」
と聞く始末。チーン



すごいなと感心した
卒業生たち。


うつむき加減で
身なりもピシッとしてなくて
まぁ、まぁ、
下を向いている子が多い。


でも、ひとりずつ壇上に出て
マイクを前に話しをした。


その言葉はみんな
等身大で
素直だった。


「もぅ、オレの人生おわった。
そう思っていた。」


そう話す子も結構いた。




そうだね。



私はね、夕方の帰宅時間
お友達と数人で
一緒に歩いて帰宅する
たくさんの高校生の集団を見るのが
すごく嫌だった。


あんな風になれない。
あんな風に通えない、私の娘。



駅なんかでたまに長女の同級生を
見かけることもあって

楽しそうに友達と話すその姿が
恨めしくて仕方なかった。


(テメェらのせいで。)


そんな感情が湧き上がって
自分で自分が情けなくなったり
悲しくなったり。



親の私がそうなんだ。


当事者の本人は
10代半ばで
みんなと同じように進めなくて
どれだけ不安だったことだろう。



それでも
今、こうして、
ひとり壇上へ上がり
その時の気持ちを話す君たちは
すごいと思う。
大丈夫だ。



いろんな生き方があって
いろんなやり方がある。



あなたの数年間の苦しみや葛藤は
あなたをやわらかく、強くするし
優しさにかわる。



「周りのせいにして
心を閉ざして
両親にたくさん迷惑をかけた」



「自分が動けない代わりに
学校を探してくれてありがとう。」



思春期まっただ中で
素直になれず
言葉も交わさず
何を考えているかわからない。



口をきけば暴言ばかり。



そんな日々もあっただろう。



でも、やっぱり
みんなわかっていた。



そうはいっても
親の愛はわかっていて
伝わっていて
自分がやってることも
わかっていて。



それでも、
そうせざるを得なかったんだ。



親だからこそ
当たり散らせたし
そうやって
甘えられたんだと。



苦しんだ先に見つけた
あなたの気づきはなんだろう。


それはきっと
あなたの宝物になる。




おめでとう。




心よりお祝いの気持ちを
あなたにおくります。