年末からバタバタとあっという間に2月になってしまいました。ねこクッキー

ご無沙汰しています。制作スタッフのSです。

 

いよいよ明日、2/21から始まる企画「陸にあがった人魚のはなし」のアニメーション化へ向けたクラウドファンディングが始まります。波

 

このお話はアメリカの詩人/ランダル・ジャレル原作の児童文庫。

森に住む狩人と海に住む人魚が出会い、さまざまな動物や人間が家族として一緒に暮らします。

見た目も育った環境もまったく違う彼らが仲良く暮らす姿に、お互いを理解し合うことの尊さに気付かされます。

 

クラウドファンディング開催にあたって、村田よりコメントがきております。

 

 

1965年ランダル・ジャレルが51歳のときに書いた「陸にあがった人魚のはなし」はこどものために書いた児童文学です。狩人、人魚、熊、山猫、少年がまるで家族のように共に過ごしていく物語ですが、他の児童文学と少し(だいぶ?)違います。

そもそもタイトルにもある「人魚」が全然違う。ここで描かれている人魚は甘いものは苦手だし、ゆらゆらと揺れていないと眠れないし、生の魚しか食べない。海はいつも動いているからじっとしていると落ち着かない。登場する動物たちも動物として描き、人間と明らかに違う生き物であることを正直にありのまま描く。そこには生きとし生けるものすべて平等の価値があり、お互い違う生き物同士の敬意があり、違うということについての「学び」があります。ここには違うことを認め合って、初めて同じ屋根の下で分かち合える発見があります。

 

僕は「人魚~」を読んでいて、二つのことを思い出しました。

一つ目はどこかで読んだカワウソの話。

カワウソは二本足で立ち、習性として魚を捕えて自分の周囲に並べておく。まるで「供えものをしているように見える(獺祭)」。その行動は見方を変えればカワウソが収集した展示物であり、それを見た古代人は、カワウソの行動を真似て神にお供え物をするようになった。

 

そのことが真実かどうかはわかりませんが、僕はこの話を読んだとき「そうに違いない」と感じたし、そうして長い時間をかけて自然の中からさまざまなことを学び、敬ってきたのだと思います。

 

もう一つは、天明三年(1783年)に浅間山が大爆発し、群馬県嬬恋村鎌原村(村人口597人)が壊滅し、生き残ったわずかの人たちで相談し、家族を造りなおし、村を再建したという事実。家族を失った夫、妻、子供をもう一度造りなおす。血のつながりのない者同士がまた一から家族をやり直す。ここにあるのは「深い悲しみ」という共通の記憶。決して忘れることのできない記憶です。

 

この二つの話は日本で起きた文化や歴史の中に含まれているものですが、素晴らしい物語というのは、このように自身の中にある記憶を呼び起こす力があります。

ランダル・ジャレルは自身の「記憶の中」にあるものを見事に物語に替え、忘れてはならない大切な想いを僕たちに伝えているように思います。

 

「ひとは記憶によって育てられ、記憶に導かれて自分にとって大切なものを手にしてきました。記憶というのは『覚えている』ということではなく、『自ら見つけだす』ということです。すべてを覚えていることはできない、そのために記憶というのは、断片、かけらを集める、そしてまとめることです。

記憶は、過去のものではない。それはすでに過ぎ去ったもののことではなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことです。とどまるのが記憶であり、じぶんのうちに確かにとどまって、じぶんの現在の土壌となってきたものは、記憶です。」(長田弘・ランダル・ジャレル翻訳者)

 

「陸にあがった人魚のはなし」はぜひ親子一緒に読んでもらいたいです。

そしてできれば読み聞かせてあげてください。読み聞かせは子にとって夜の楽しみになります。それから読み終わったあと子に質問をして、物語の余韻を楽しんでください。読み聞かせは子に安らぎを与えるだけでなく、親子にとって深い記憶となることでしょう。

 

僕はこのお話を人形とミニチュアセットとコマ撮りで表現します。一コマ一コマの中に「ゆっくり語りかけ、ページをめくる」、そんな想いでつくりたい。なにげない仕草や、言葉で伝えられないようなもやもやした気持ち、ふとしたときのなつかしい匂い、海の波、風、優しさ、切なさ、そして思いもしなかった人生の喜びを見つける、そんな体験をみなさんに贈りたいと思っています。

 

人類学者のヘレン・フィッシャーが、TED*で以下のような話をしています。

「テクノロジーの進歩で全てがつながった現代社会では、男女交際の新しい方法やルールが生まれています。しかし愛の根本的な原則は不変である。人とのつながりが速く生まれるからこそ、親密な恋愛関係を築くのには時間がかかるようになった」と。

 

ヘレン・フィッシャーは、このトークの締めくくりに、ランダル・ジャレルの言葉を引用していました。

テクノロジーによって、愛の根本は左右されないことをランダル・ジャレルはすでにわかっていたかもしれません。

またアメリカではランダル・ジャレルという詩人はほんとに広く愛された人なんだと感じたし、時代が変わっても、変わらない価値として今もいきいきと存在しているのだと感じました。

 

2017年2月村田朋泰

 

コンセプトボード:海で泳ぐ人魚

 

クラウドファンディングでは目標金額に達成しなかった場合、制作はされません…。

是非ご興味いただけたら、一度クラウドページを見ていただけたら幸いです。

 

Makuake「陸にあがった人魚のはなし」

公開期間は2/21の11:00〜5/8の18:00までです。

 

何卒、応援をよろしくお願いいたします!