お金がもっと必要だ。どうするか?が、このブログなのですが

 

このところ、仕事帰りにコンビニに寄ってしまうんですね。

味の濃いむすびや調理パンを買うことが多いのですが、昔はそもそもコンビニはなく、あっても寄ろうという気がありませんでした。しかも、研修で「コンビニは便利を売っているで定価販売だから、よっぽどのことがない限り使うのはだめよ」と教えられ、金融リテラシーなしの象徴と思っていました。

 

そんなリテラシーなしな自分が抑えられない。

 

なんでか?

 

仕事や生活のストレス解消なんですよね。味濃いもので。

 

すると、自分の小遣いが減っていきます。すると、今度はお金が少なくなる不足感にさいなまれます。

 

よけい、お金欲しい→不足感→不足感を埋めるために代償として、私の場合はカフェの高いコーヒーやコンビニ食で一時的に満たそうとする。おなかが空いたと感じるんですよ。コーヒー飲みたいと渇望するわけですよ。不足感は自分を苦しめます。

 

という無間地獄におちいります。

 

逆になると、コンビニ寄らない→お金使わないで不足感なし→コンビニ行くよりお金残る→実際にお金に余裕が出る→余裕の気分で生活するから、よりお金が寄ってくる…はず。こうなれればいいのですが、不足感からくる欲求とわかっても抑えられないものです。食べ物に行くか、人によっては恋愛に行くかもしれませんね。

 

では、どこで断ち切ればいいか?

 

そもそもストレスがなければいいのです。ストレスと感じなければ代償を求める(不足感をなくしたい)システムが発動しない。

 

でも、お金がなかったりストレスになることはあるのです。

 

そこで出てくるのが、「すでにある」とか現状肯定の発想です。

 

今に満足しようよ、体が動いて、家に住めて…と幸せにフォーカスするのですが、だからと言って向上心とか今の不足を補うとかできません。

 

「既にある」「今の自分が望んで引き寄せた状況である」と納得する。

 

”暇な生活より、スリリングな生活の方が楽しい”と思ってしまった結果なのですよね。

このぎりぎり感が充実。

求めておいて、「度が過ぎてつらい」と言っているのですよね。

 

「自分の思い込みは何か」を見つける方が速いんですね。ここが認識変更だチケット7章だとかいうところなんでしょうね。

「思った通りじゃないか」という満足感、それがいやなら”思い込みを変えればいい”という自分で人生をコントロールできている感。

 

これができれば、不足感は出てきようがありません。

 

これ、自分でやるのは、すぐ意識がずれやすい。呼吸か瞑想か”何かやってる感”を出さないといけません。

 

だから、つなぎの次善の策として、「楽しいことをしよう」で、満足の気分を出すことに価値が出てくるのだと思います。あくまでも、避難先として。

避難先と言いながら、満足の落ち着いた気分の中で自分を見つめると、けっこう自分のことがわかってくるのが面白いです。

 

結論、方法論として「楽しいことをしよう」目標は自分の思い込みを自覚するために。

 

自分用の備忘録です。