こんなに続くなら違うタイトルの方が良かったかな。
まぁ、今から変えると何が何だか分からなくなりそうなのでこのまま続けますね。
ここからは亡くなるまでの事を書きます。
あくまで夫である私の個人的感想が主なのでご了承ください。
27日土曜日、朝目覚めるといつも横に居るはずのともうるまが居ないのが現実なんだよねって思う。ほんとたった二日入院しているだけなのに朝から会話が無いことに違和感を感じました。いつもの土曜日なら、仕事で疲れているだろうから起こさずにいて、起きてから朝ごはんにする。ほんと、ちょっとしたことですがこのときは愛情を感じました。(今更ながら...)パンを焼き、いつもならコーヒーをドリップするのになんだか勿体無くて何も飲まず。洗濯物が乾いていることを確認して、またカーナビの誘導で病院へ。その時王子公園の横を通り過ぎる。この公園には思い出があって、確か3歳ぐらいだったと思うけど、両親と阪急電車に乗って連れられたのがこの王子公園内の動物園でした。なんとなくですが、今もその記憶はあります。その後も祖母に連れてこられたり。自分が父親と電車に乗ったのがこれが最初で最後なので(父よ間違っていたらゴメン)、自分に子どもが出来たら真っ先に連れて行きたいなと思っていました。そんなわがままな理由でともうるまと二人で行ったことはありません。パンダもいるのに、和歌山のアドベンチャーワールドに行ってたぐらいですから。ともうるまにはすごくプレッシャーになっていたと思います。ごめんね。産むのは私じゃないから病院に一緒に行くことぐらいしかできなかったけど(涙)あと、病院に行く車の中で思ったのが母の凄さ。祖父が93歳で病院に2ヶ月入院したとき、日々の世話から発作で痙攣し呼び出されたとき、例えどんな時間帯でも駆けつけた母。私、早くも3日目にしてギブアップしそうでした。(汗)看病も介護もコリャ大変だ。口で言うほどたやすくないなぁって。今日はお昼の面会を飛ばして、朝と夜だけにしようかなと真剣に考えました。
9時30分頃病院に到着。休日だから通院患者の車が少ないなぁと思い、出入り口に近いところに駐車しました。病室に入ると前日の夜よりも苦しそうでした。酸素呼吸器をつけて、血中酸素濃度を測定する機械をつけて。遠くを見つめるような目をしており、眼鏡がないから焦点が定まらないのかなと思い顔を近づけてやっと認識してもらいました。引き継いだ看護師さんからは、昨晩はあまり眠られてないようだと聞きました。その後担当の薬剤師さんと話すことがありました。今処方されている薬の確認でした。メンタル系についてはODで服用した薬が抜けるまではまだ飲ませない方向であること。甲状腺の薬はいつ飲んでました?と。「確か6月ぐらいからで、処方されている量を飲んでます」って答えた気がします。「この薬を飲みだして排卵前から生理直前の気持ちの変動が大きい気がします」っとあわせて答えました。そのとき、ともうるまがしっかりと「そんなことは医者と薬剤師が決めることだから、言わなくていい!!」って腕を引っ張りながら呂律の回らないながらも言っていたと思います。確かに薬のことはそうですが、飲んでどうなるかは本人か家族しか知りませんよ。あくまでダンナ的感想ですから!!って思いながらも、「分かったよ。」って答えている自分(汗)尿の色も落ち着き始め、点滴もトータルで3リットル越え。手の甲を見ると針の後がたくさんある。左手首は時計荒れがあって右手の甲を主に点滴するも、しばらくすると詰まるらしい。その都度変えてるわけだから看護師さんも大変だ。
12時になる前は確かに意識があったと思う。ともうるまの左に立ち、点滴をしていない左手で「てんちゃん、いつもありがとうね」と言った。確かに言ったと思う。呂律が回らない中で確かに................言ったと思う。なにかして上げられないかなと思い、唇と歯を拭いてあげる事にしました。口内洗浄用のスポンジに水を染み込ませ歯を擦る。そうするとともうるまはスポンジを歯で噛み、水分を摂ろうとする。よっぽど喉が渇いているんだねって、2~3回は続けたと思います。ただ詰らせると怖いので、それで終わりました。実はその時、「お昼になるから一旦帰るね」って言おうとしてた。今なら洗濯して乾せばまた明日に間に合うなぁとか考えていた。ただ、なぜか気分が重くその言葉が言い出せませんでした。
12時を越えた辺りでなにか苦しそうな表情をしていました。目では「看護師さん呼んで!」と訴えていた気がします。ただ、看護師さんも忙しく、呼び止めようかどうしようか悩んでいたときでした。その時................
発作が始まりました。時間にして10秒近くは何かを叫ぶように震えていました。目を大きく開いて、何かに怯えているのかそれとも何かに怒りをぶつけていたのか分かりません。力尽くで押さえてのは覚えています。このときは以前自宅であった夜驚(夜叫?)に似ていた感じがして、意識もうろとした中で嫌いな父親の夢でも見たのかな?それとも高校時代の?なんて思いました。まぁ、夜驚ならなにか寝言みたいなことを言うんですけど。あまりの状況変化にびっくりして、前日からの当直内科医と看護師さんが飛んできました。みんなで状況を話しながら、もう少し状況を見ましょうと。先生も看護師さんも元の場所に戻り、私一人になっていろいろ話しかけていました。ただ何を話したのかは覚えていません。それから、30分後ぐらいにもう一度発作があり、泡を吹きました。「これはいつもと違う」と認識したのはこのときでした。看護師さんたちにも緊張が走り、どんどん監視する機器が増えてきました。いつもと違うと分かっていても、認めたくない瞬間でしたね。『もしかすると』ってまさか本当に来るのって?
そして、13時ちょうどだったと思います。最後の発作が起きました。
力の入らないはずの足で、手で、ベットから起き上がろうとする、何かと戦っているような目、私は負けないと喰いしばった歯。舌が下顎に収まらず凄い力で噛んでおり、口元から血が滴り落ちていました。それも10秒ぐらいは続いたでしょうか。ふっと力が抜けた瞬間、崩れ落ちるとはこのことだなと思わせるように、ベットに仰向けに倒れました。そして、自発呼吸が停止し、顔の色がみるみるうちに変わるのが分かりました。
長文になったのでここで一旦区切ります。
あの日同じ病室で、骨粗鬆症で入院されてました87歳のおばあちゃんへ。
向かいのベットで大騒ぎしてゴメンね。急遽病室を変わってもらうことになってほんと申し訳なかったです。また、付き添いで来られていた93歳のおじいちゃん、落ち着いててとてもカッコよかったです。ともうるまのこと、私のこと心配してもらってほんとありがとうございました。誰にも話しかけられない状況で、どうしたらいいか分からないときに声を掛けてもらってほんと落ち着きました。無事に退院していたら何よりです。ほんとうにありがとうございました。(涙)おじいちゃんのようにカッコいい男になるからね~
それではまた^-^