前回、新幹線で読み始めた「倉橋由美子の怪奇掌篇」は、その名の通り怪物譚、幽霊譚の類を集めたもので、取り上げた「ヴァンピールの会」という話も、ヴァンパイヤを主題とした小品だった。この後に「革命」という「癌 = 蟹」(キャンサー繋がり)をテーマにした話が続いて、その次の話の題名が「首の飛ぶ女」という凄いものだった。この日本には珍しいタイプの知的女性は怪力乱神を語らないどころか、大いに語ったというわけだ。

倉橋由美子には「ポポイ」という長編があり「首」が題材として取り上げられている。美しきテロリスト青年の「首」を、(むかし「夢の浮橋」に登場した桂子さんの孫にあたる)舞さんが生かして飼育するという、どこか「サロメ」を髣髴とさせる話だった。

「首の飛ぶ女」を読み始めてすぐに分かったが、この話は、中国六朝時代の「捜神記」に登場するあの「飛頭蛮」の話であった。それを知って私はぞくりとした。

実はこのブログでも取り上げたが、今年の三月に「文學界」四月号を買った。特集が「倉橋由美子の魔力」というタイトルだったためだった。その際、ブログには倉橋由美子のことを書いただけではなく、この特集とは独立した形で載せられた辺見庸の詩作についても触れた。彼のいくつかの詩は一括りにされて「『生首』より」という奇妙な題名がつけられていた。私はその中の一篇「秋宵」を引用して、これこそはアジア原産の妖怪、飛行する生首「飛頭蛮 = Penanggalan」のことではないかと思いついたことを書いたのだった。

思いがけないことだが、同じ文芸雑誌に取り上げられた故・倉橋由美子と辺見庸は偶然にも「生首」「飛頭蛮」というテーマで結び付いていた。もちろん編集者が作為的に行ったのかもしれないが。