皇室に生まれた女子の存在意義について問われたので、感じたことを綴ってみます。


先週、カズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」を読み終えました。この小説では(以下ネタバレあり)、移植手術に用いるスペアの臓器を採るために生を受け、特殊施設で育てられるクローン人間たちの理不尽な運命が語られます。その運命的な人生は、どこか皇族として生まれた女子の境遇とも重なるような気がしました。

彼女たちが生を受けたのは、そのプロセスはどうであれ、万世一系の天皇システムを守るため、後継者、もしくはスペアを得る目的の結果としてです。それも気の毒なことに、失敗の結果として生まれているわけです。「男子に非ず」、スペア失格という結果。

こうして生まれながらにしてシステム維持の犠牲者になる彼女たちを、犠牲の代償として余りある長く恵まれた猶予期間が待っています。皮肉なことに、自我の目醒めた彼女たちが最初に人生の目的として据えなければならないのが、この猶予期間の終了なのでしょう。クローン人間が臓器提供に備えるため、特殊施設から放り出される日があるように、彼女たちにもやがてシステムから放り出される「降嫁」の日が来るのです。

彼女たちはシステム維持を目的として産まれたにも関わらず、システムからの離別が生の目的になるわけです。この矛盾した苛酷な境遇をよく理解してあげないといけないと思います。