Tomotubby の場合、幸か不幸か、ラ・スペコラ博物館で一連の人体標本(1・2・3・4)を観た前日、ウフィツィ美術館でボッティチェッリの大作「ヴィーナスの誕生」を観ていました。しかしこれがもし逆で、顔つきや仕草が名画に似た人体標本を先に見てしまっていたら、絵を前にして感じるところは少し違っていたのではなかろうか。と思います。

Sandro Botticelli「Birth Of Venus」
「ヴィーナスの誕生」は、キリスト教的には異端の香りが芬芬と漂い、一つ間違えれば禁欲主義者サヴォナローラによって焼かれていたかもしれないと思うのですが、現在では、一般に肉体の関わる性愛とは隔絶された霊的な愛の象徴とされています。つまり、裸体を主題としているにもかかわらず、これはポルノグラフィではないかと疑うことなどあるはずもなく、万人が安心して観ていられる絵画ということです。
例えば、2006年にトリノで行われた冬季オリンピックの開会式で、スーパーモデルにして女優でもあるエヴァ・ハーツィゴヴァがボッティチェッリのヴィーナスに扮して登場しています。

Venus に扮する Eva 様
世界的なスポーツの祭典において、完璧なまでの肉体を持つ現代の美神が扮したこと自体、このボッティチェッリの作品が神聖かつ霊的な象徴として認知されていることを示しているのだと思います。実際、写真だけ見ていると、作り物めいて、どこかいかがわしさすら感じるのですが。
ここでありえない仮定ですが、エヴァ・ハーツィゴヴァが一糸纏わずに名画と同じポーズで登場したらどうでしょう。例えば、下のセミヌードのように。

Eva Herzigova
モデルにとっての肉体とは、そもそも観せるものですが、両胸を隠すという動作が加わることで、聖的、霊的な印象が遠のき、地上的でセクシーな印象が加わっているように思えます。
写真の左下のロゴを見つけられた方も多いと思いますが、種明かしをすると、この写真は、有名な男性誌の表紙を飾った一枚です。他の写真(お美しすぎ。ヘア・ヌード含有に注意)も見つけて気づいたのですが、脚を折りたたんだポーズや胡坐のポーズなど、マリリン・モンローを意識しているんじゃないか。と思います。
ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」に戻りますが、この絵はメディチ家の所有だったものです。
画家は、よく言われるように、同じくメディチ家所有の大理石彫刻、通称「メディチ家のヴィーナス」を参照して、この絵を描いたのに違いないと思います。事実、画中のヴィーナスのポーズは、この紀元前に作られた彫刻のポーズとそっくりです。しかし、この彫刻の印象は随分地上的で、どこか淫靡なものを感じてしまうのはどうしてでしょう。改めて「ヴィーナスの誕生」を眺めると、最初とは違った印象を抱きはしませんか?
つづく

Sandro Botticelli「Birth Of Venus」
「ヴィーナスの誕生」は、キリスト教的には異端の香りが芬芬と漂い、一つ間違えれば禁欲主義者サヴォナローラによって焼かれていたかもしれないと思うのですが、現在では、一般に肉体の関わる性愛とは隔絶された霊的な愛の象徴とされています。つまり、裸体を主題としているにもかかわらず、これはポルノグラフィではないかと疑うことなどあるはずもなく、万人が安心して観ていられる絵画ということです。
例えば、2006年にトリノで行われた冬季オリンピックの開会式で、スーパーモデルにして女優でもあるエヴァ・ハーツィゴヴァがボッティチェッリのヴィーナスに扮して登場しています。

Venus に扮する Eva 様
世界的なスポーツの祭典において、完璧なまでの肉体を持つ現代の美神が扮したこと自体、このボッティチェッリの作品が神聖かつ霊的な象徴として認知されていることを示しているのだと思います。実際、写真だけ見ていると、作り物めいて、どこかいかがわしさすら感じるのですが。
ここでありえない仮定ですが、エヴァ・ハーツィゴヴァが一糸纏わずに名画と同じポーズで登場したらどうでしょう。例えば、下のセミヌードのように。

Eva Herzigova
モデルにとっての肉体とは、そもそも観せるものですが、両胸を隠すという動作が加わることで、聖的、霊的な印象が遠のき、地上的でセクシーな印象が加わっているように思えます。
写真の左下のロゴを見つけられた方も多いと思いますが、種明かしをすると、この写真は、有名な男性誌の表紙を飾った一枚です。他の写真(お美しすぎ。ヘア・ヌード含有に注意)も見つけて気づいたのですが、脚を折りたたんだポーズや胡坐のポーズなど、マリリン・モンローを意識しているんじゃないか。と思います。
ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」に戻りますが、この絵はメディチ家の所有だったものです。画家は、よく言われるように、同じくメディチ家所有の大理石彫刻、通称「メディチ家のヴィーナス」を参照して、この絵を描いたのに違いないと思います。事実、画中のヴィーナスのポーズは、この紀元前に作られた彫刻のポーズとそっくりです。しかし、この彫刻の印象は随分地上的で、どこか淫靡なものを感じてしまうのはどうしてでしょう。改めて「ヴィーナスの誕生」を眺めると、最初とは違った印象を抱きはしませんか?
つづく