「トップレス・チョゴリ」という奇妙な風俗の成り立ちについては、先述の金貞我「朝鮮時代の図像資料と風俗画-女性をめぐる眼差し-」に詳しく説明されています。韓国人女性研究者が言うことだから歴史の歪曲もなく間違いないでしょう。曰く、勝手に引用すると:-

「シバジ」(1986年) 姜受延(カン・スヨン)はベネチア、ナント両映画祭で主演女優賞を受賞
李朝滅亡後、日本統治下で処罰を以て禁止されて以降、「トップレス・チョゴリ」が消えてしまったのかというと、

それでもしぶとく生き残っているのでした。↑は、日本統治下で作られたと考えられる絵葉書です。隣人の、否、今や同胞となった人たちの奇妙な習慣に対する「内地人」の好奇な目が感じられます。「Native wemen」(ママ)とは、当時で言うところの「土人」でしょう。
朝鮮では、婦人は男性たちと食膳をともにするのではなく、別の部屋でこのように独り、あるいは女性だけで食事をしていました。絵葉書用に背後に李朝民芸品が並べてあります。果たしてこの女性が使っていたのか疑問ですが、虎足膳と呼ばれる八角の李朝膳が優美です。浅川巧曰く:-
日本が戦争に負けて引き上げた後、「トップレス・チョゴリ」がどうなったかというと、
まだ生き残っているのでした。
←は台湾発の「朝鮮露乳装束分布地区」の中にもありましたが、朝鮮戦争でマッカーサー率いる米軍が仁川に上陸した後に利川で撮られた写真です。この女性の両胸をよく見ると、右側が大きく垂れ下がっているのが分かります。恐らくは右側が授乳専用だったのではないか。彼女は乳児を抱きながら労働に勤しんだのではないか。と推測できます。
その後も「トップレス・チョゴリ」は存続していたようです。
←のようなカラー写真が見つかりました。
着色写真ではなく「YONHAP NEWS」配信のもののようです。左の奥に「トップレス・チョゴリ」を着た洗濯女が闊歩しているのが見えます。メインの被写体である少女の服装はずっと現代的で、背後には電信柱や幟広告も見えます。ハングルではなく漢字の看板が出ているので、恐らくは60年代の後半、もしくは1970年代ではないでしょうか。
この後「トップレス・チョゴリ」を廃絶に追いやったのは、人々の意識の変化ではなく、結局のところブラジャーの普及だったのではないかと思われます。先日ソウルに行ったとき、一児の母でもあるキムさんから聞いたのですが、今でも女性の就業機会は少なく、男尊女卑の儒教の悪しき伝統が色濃く残っているそうです。韓国の女性の人権は今なお抑圧され続けていると言ってもよいでしょう。
つづく
朝鮮時代の女性にとって、子供を出産すること、特に男児を生産(ママ)して家系を継承することは、最も重要な使命であった。嫁にいった女性が男児を出産できなかった場合は「七挙之悪」(ママ、Tomotubby注:恐らくは「七去之悪」の誤植でしょう。「不順舅姑」「無子」「淫行」「嫉妬」「悪疾」「口舌」「盗竊」のことです)の一つを犯したことで、離婚の理由になる。朝鮮時代の女性における人生最大の目標は男児を産むことであり、男児を出産した女性は女としての使命を果たしたことになる。出産後の豊満な胸は授乳する子供がいるとの証明であり、男児を生んだ(ママ)女性は堂々と胸をさらけ出し、街を闊歩できる。胸をさらす女性は、家系を支える将来の大黒柱、男児を生産(ママ)した、立派な女性の表象である。韓国映画の80年代の名作のひとつとして林權澤・監督の「シバジ」という映画がありますが、この「シバジ」というのは、跡継ぎの男子のいない家で、正妻の了解を得て屋敷に招かれ、主人と関係して子供を産む「種受け」の職業です。子供を産んでしまえば用済みとなり、屋敷から追い出されて子供とは会えなくなる運命で、映画はこの悲劇を扱ったものでした。「シバジ」の存在こそは、女性が継子を産むための道具のごとく扱われたことを物語るものです。韓国では現在も「シバジ」の伝統は受け継がれており「貸し腹」「代理母」を専業にする女性が多くいるそうです。
実際朝鮮時代の女性の服装は、授乳する子供を持つ女性には極端なまでに非実用的である。上半身を覆うチョゴリの丈は胸のあたりまでで、それを着るためには、胸を縛り付けなければならない。朝鮮初期のチョゴリは高麗時代の名残もあって、丈が腰の少し上までくるかなり長いものであったが、18世紀頃になると、袖は細く、丈は極端に短くなり、チマはより長く、膨らむ形になっていく。このような服装は妓女の間で流行し、後には両班、庶民にまで広がったという。朝鮮中期の革新的な女性のファッションは、男性から向けられた眼差しであり、その視線が注がれるのは胸ではなく、豊満な下半身であった。胸をさらす女性の姿は、現代の眼差しで眺めるエロチシズムではなく、儒教に呪縛された封建社会の視線と強く結びついていたのである。
胸をさらす朝鮮の女性は、20世紀初頭の朝鮮時代の風俗を伝える写真や絵葉書の中にも繰り返し登場する。欧米人や、植民地支配者の日本人の目に収まった数多くの写真には、極端なまでに短いチョゴリの下に胸をさらけ出して働いている姿がある。近代文明の観点からすれば、体のセンシュアルな部分を露出する女性の姿は、低俗・非文明に映っただろう。しかし、既婚の若い庶民の女性が胸をさらけ出すことは珍しいことではなかった。健康な出産能力の誇示であった胸をさらす姿は、育児とともに過酷な労働を強いられた庶民の女性の象徴でもあった。

「シバジ」(1986年) 姜受延(カン・スヨン)はベネチア、ナント両映画祭で主演女優賞を受賞
李朝滅亡後、日本統治下で処罰を以て禁止されて以降、「トップレス・チョゴリ」が消えてしまったのかというと、

それでもしぶとく生き残っているのでした。↑は、日本統治下で作られたと考えられる絵葉書です。隣人の、否、今や同胞となった人たちの奇妙な習慣に対する「内地人」の好奇な目が感じられます。「Native wemen」(ママ)とは、当時で言うところの「土人」でしょう。
朝鮮では、婦人は男性たちと食膳をともにするのではなく、別の部屋でこのように独り、あるいは女性だけで食事をしていました。絵葉書用に背後に李朝民芸品が並べてあります。果たしてこの女性が使っていたのか疑問ですが、虎足膳と呼ばれる八角の李朝膳が優美です。浅川巧曰く:-
然るに朝鮮の膳は淳美端正の姿を有ちながら
よく吾人の日常生活に親しく仕へ。
年と共に雅味を増すのだから
正しき工藝の代表とも称すべきものである。
-浅川巧「朝鮮の膳」
日本が戦争に負けて引き上げた後、「トップレス・チョゴリ」がどうなったかというと、
まだ生き残っているのでした。←は台湾発の「朝鮮露乳装束分布地区」の中にもありましたが、朝鮮戦争でマッカーサー率いる米軍が仁川に上陸した後に利川で撮られた写真です。この女性の両胸をよく見ると、右側が大きく垂れ下がっているのが分かります。恐らくは右側が授乳専用だったのではないか。彼女は乳児を抱きながら労働に勤しんだのではないか。と推測できます。
その後も「トップレス・チョゴリ」は存続していたようです。
←のようなカラー写真が見つかりました。着色写真ではなく「YONHAP NEWS」配信のもののようです。左の奥に「トップレス・チョゴリ」を着た洗濯女が闊歩しているのが見えます。メインの被写体である少女の服装はずっと現代的で、背後には電信柱や幟広告も見えます。ハングルではなく漢字の看板が出ているので、恐らくは60年代の後半、もしくは1970年代ではないでしょうか。
この後「トップレス・チョゴリ」を廃絶に追いやったのは、人々の意識の変化ではなく、結局のところブラジャーの普及だったのではないかと思われます。先日ソウルに行ったとき、一児の母でもあるキムさんから聞いたのですが、今でも女性の就業機会は少なく、男尊女卑の儒教の悪しき伝統が色濃く残っているそうです。韓国の女性の人権は今なお抑圧され続けていると言ってもよいでしょう。
つづく