
「チャングム」や「黄真尹」が着ていたチマ・チョゴリはともかくとして、李氏朝鮮末期に、丈が短くて露出度の高いチョゴリが流行したのが事実なら、鎖国を続けてきた朝鮮が開国し、やがて朝鮮併合を経て日帝時代に至る時代の妓生の風俗にも、なにがしかの名残があったに違いない。と考え、韓国のサイトで写真絵葉書を探してみました。でも妓生もチョゴリも予想していたより、ずっとおとなしめです。例えば下の白いチマチョゴリ、上等そうで気品すら感じます。

何か気品すら感じる妓生座像。
このころの妓生の制度は、日本から伝わった芸者や遊郭、ロシアから流入した娼婦や異人娼館(寺山修二!!)の影響を受けて変質し、日帝時代になると公娼化して、李朝期の伝統的なものからほど遠いものになっていたようです。
本来の妓生は宮廷に仕えて、歌舞音曲に長け教養もあったと聞きますが、下の写真を見ると、楽器の絵が添えられていたり、手に書物を持っていたりして、それなりに雰囲気を伝えようとしています。でもチマチョゴリのデザインは、洗練を欠いているように思えます。


着色写真