前回、ブリュッセルの街中で初めて出会った小便小僧という像に特段違和感を抱かなかったと書きましたが、その夜、夕食の帰り、偶然に小便小僧の女子版(Jeanneke-pis)を目にしました。そのときから小便小僧の像の存在に違和感を感じるようになりました。

「穴犬の視線」運営のTedzさん他からこの写真のアップの希望を頂いていましたので、こっそり?のせてみました。遅くなってすみません。これでも載せようかどうしようか悩んだ末の一大決心。柵で覆われる前の貴重な写真です。
この女の子は1980年代生まれ、明らかに小便小僧を意識して(対抗して?)作られたもののようです。ただオープンな場所に立つ小僧の「噴水」が高みから落ちる放物線?なのに対して、行き止まりになった裏道の壁の窪みに立つ女の子の方は「噴水」と喩えるのには無理があるようです。「落ちる水」って感じです。小僧の方のあけっぴろげの「陽」のイメージに対して、女の子の方はどうも「陰」のイメージが強く、見てはならないものを覗いているような後ろめたい気分に襲われます(女性でも)。
この後ろめたい気分って、前回に続いてマルセル・デュシャンで言えば、フィラデルフィア美術館の一室に展示された遺作「1. 落ちる水、2. 照明用ガス、が与えられたとせよ」の扉にあいた穴を覗くときに感じるものに似ているような気がします。

デュシャンの遺作の外側

デュシャンの遺作の内側
そして大きく開かれた大股、そして「落ちる水」とは、男性原理「噴水」と対峙する女性原理ではないか? 独身者デュシャンは、木の扉の向こうで女子の痴態を覗いている「変態さん」だったのではないか?とさえ思えてくるのです。
つづく

「穴犬の視線」運営のTedzさん他からこの写真のアップの希望を頂いていましたので、こっそり?のせてみました。遅くなってすみません。これでも載せようかどうしようか悩んだ末の一大決心。柵で覆われる前の貴重な写真です。
この女の子は1980年代生まれ、明らかに小便小僧を意識して(対抗して?)作られたもののようです。ただオープンな場所に立つ小僧の「噴水」が高みから落ちる放物線?なのに対して、行き止まりになった裏道の壁の窪みに立つ女の子の方は「噴水」と喩えるのには無理があるようです。「落ちる水」って感じです。小僧の方のあけっぴろげの「陽」のイメージに対して、女の子の方はどうも「陰」のイメージが強く、見てはならないものを覗いているような後ろめたい気分に襲われます(女性でも)。
この後ろめたい気分って、前回に続いてマルセル・デュシャンで言えば、フィラデルフィア美術館の一室に展示された遺作「1. 落ちる水、2. 照明用ガス、が与えられたとせよ」の扉にあいた穴を覗くときに感じるものに似ているような気がします。

デュシャンの遺作の外側

デュシャンの遺作の内側
そして大きく開かれた大股、そして「落ちる水」とは、男性原理「噴水」と対峙する女性原理ではないか? 独身者デュシャンは、木の扉の向こうで女子の痴態を覗いている「変態さん」だったのではないか?とさえ思えてくるのです。
つづく