安平樹屋」は、もともと英国商社「徳記洋行」の倉庫だったことは触れましたが、「樹屋」の建物の隣には、アーチを多用し屋根に風見鶏を頂いたその西洋建築が往時のまま残され、現在は「台湾開拓資料蝋像館」、つまり蝋人形館として公開されています。Tomotubby は「樹屋」の方の探検に時間をとりすぎて「蝋像館」に入ろうとしたら既に閉館時間間近で、見学は断念せざるを得ませんでした。1階部分にはオープンカフェもありました。


徳記洋行

徳記洋行は、1846年12月に英国人 Tait によって厦門にスペイン領事館がおかれた際に、同時に設立された商社「Tait & Corporation」に遡ります。中国語の社名は Tait を音訳して徳記とされ、当初は中国人を契約移民として東南アジアに肉体労働者として送り込む、悪名高き「苦力貿易」を行っていました。1864年に安平に進出後は、樟脳、砂糖、茶葉などを輸出、工業製品や石炭・石油を輸入して、大陸との輸出拠点にもなっていました。英国の得意とするアヘン貿易にも関わっていたようです。安平に進出した怡記洋行、和記洋行、東興洋行、唻記洋行と合わせて安平五大洋行と呼ばれていたそうで、この中の「東興洋行」の建物も近くにあります。


東興洋行

徳記洋行は21世紀の現代まで存続した会社で、まさに台湾の産業発展の歴史とともに歩んだといえます。嘉義でコーヒー豆の栽培に取り組んだこともあり、1974年にはネスレの代理店になっています。その後もハイネケンやマルボロなど欧米メーカーの有名ブランド商品を多く取扱い、売上を拡大しますが、80年代以降、欧米メーカーの現地法人設立、台湾小売業者のメーカー直接取引が拡大し、取扱いが減少します。1992年には、英国親会社「H&C」が徳記洋行株を銀行に売却、翌年には台湾のPC周辺機器メーカー「誠洲」が徳記洋行を買収、1998年には電子部品大手メーカー「国巨」も資本参加します。 その後の業績悪化に伴い、誠洲が株を手放しますが、徳記洋行は取扱いブランドを絞込み、最近では開喜烏龍茶、金門高粱酒などに集中して捲土重来を狙っているようです。

BGMに細野晴臣「泰安洋行」をどうぞ。細野さんのお祖父さんがタイタニック号の遭難者だったことはあまりにも有名。生存して帰国したことで、我先に救命ボートに乗り込んだと、言われ無き中傷を浴び、失意の日々を送られたことはあまり知られていないです。