クリストの「梱包芸術」は、数ある現代芸術の中においても特異な存在ではないか。と思います。風景の中で見慣れたモニュメントや建造物、或いは風景そのものを覆い隠すことで、今まで考えてもみなかったような風景を作り上げる。そのために用いられる材料は、あくまで薄い布といった「皮膜」だけで(構造を支える支持体はありますが)、包まれた「ボディ」の輪郭はよく判ります。面白いのは、「皮膜」を用いた梱包芸術自体は、賞味期限の短いテンポラリーなもので決してパーマネントのものではなく、いずれ「皮膜」は剥がされて「ボディ」が露わになり賞味期限が切れることです。美術館に飾られるとすれば、(日用品などを梱包したものを別として)作品そのものではありえなく、梱包されている状態を写した写真、プラニングのためのスケッチや「皮膜」材料そのものなのです。

梱包されたヴィットリオ・エマニュエル二世像(ミラノ・1970年)

梱包されたレオナルド・ダ・ヴィンチ像(ミラノ・1970年)
よくよく考えれば、人間は裸体という「ボディ」に被服という「皮膜」を纏っている(これを被覆という)のだし、絵画自体も壁やカンバスという「ボディ」の上に絵具という「皮膜」を作り上げているわけです。絵具という皮膜はパーマネントのようにも思えますが、最古のラスコーの洞窟絵画にしても描かれて1万5、6千年しか経っていません。地球の長大なる歴史と比べれば、とるに足りないテンポラリーなものです。クリストの芸術は、どこか儚い、最も人間らしい性格のものではないか。と思ったりします。
閑話休題。下の写真は、2006年1月に中国黒龍江省哈爾浜(ハルビン)、哈爾浜駅から数百mしか離れていない中心街、中央大街広場公園にできたデパートの前に忽然と現れた梱包芸術です。もちろんクリストの作ではなく、彼の芸術を模作したものであることは歴然です。

哈爾浜中央大街の梱包芸術
銅像と思われる部分の梱包材料は、中国に行くとよく目にする色使いの、工事現場などで使われる樹脂製のシートです。これとは別に、台座と思しき部分は、日本でもおなじみのブルーのシートで覆われています。この作品がクリストの作品と大きく違うのは、元々これが何のモニュメントだったのか、地元の人民の人たちにもよく知られていないことです。つまり元からあったモニュメントを梱包したのではなく、唐突に梱包された見えないモニュメントを展示したわけです。
調べてみるとデパートを建てた韓国実業家のイ・ジンハク氏が哈爾浜市政府に働きかけ、中央大街広場の一部を買い取ったうえで、私有地内に銅像を建て、2006年1月16日に盛大に除幕式を行ったそうです。ところが哈爾浜市政府の上部機関である中国政府は、この事実を察知し、すぐに銅像を「皮膜」で覆い、梱包芸術として10日間の期間限定で野外展示することにしたそうです。銅像はその後、韓国資本のデパート内の片隅に移され展示されているそうです。
で、見えない銅像とはいったい何だったのかということですが、安重根という、三重根とか大学の数学の授業を思い出させる名前の朝鮮人テロリストの銅像だったそうです。下のような「ボディ」を写した写真が残されています。

梱包前に一時的に露出された安重根像(高さ4.5m)
安重根は1909年10月26日にロシア訪問のため哈爾浜に立寄った初代韓国統監、当時枢密院議長であった伊藤博文を哈爾浜駅構内で暗殺し、処刑されています。
日本は1894年に日清戦争に勝利することで、当時、李氏朝鮮を保護下に置こうとしていたロシアを牽制しつつ、李氏朝鮮を属国として支配していた清国から、朝鮮の領土保全を確保しました。これを受けて朝鮮は1897年に大韓帝国として正式に独立しました。ソウルにある独立門や独立館は、それまで清国の使臣を迎えた迎恩門・慕華館を日清戦争後に改めて建立・改修したものです。

現行の韓国「太極旗」のオリジナルである「大清国属 高麗国旗」
朝鮮の国力は既に弱体化して一人立ちできる状態にはありませんでしたが、伊藤博文は朝鮮の自主性を認め完全独立国家とすることを主張した穏健派の中心人物でした。しかしロシアと朝鮮問題について会談する予定だった彼が安重根のテロに斃れたことで、結果的に朝鮮併合の世論が一気に高まりました。韓国内でも一進会から「韓日合邦を要求する声明書」の上奏文が皇帝に提出されるなどして、1911年にとうとう朝鮮併合が行われたのでした。安重根は韓国では英雄視されているようで(北朝鮮では抗日における金日成の反面教師としてマイナス評価されている)、今回の銅像建立に至ったのですが、外国人の、それも暗殺者の巨大な銅像を街頭に建てることを中国政府が許すはずもなく、今回の「梱包芸術」の期間展示と相成ったわけです。因みに暗殺後に伊藤博文の胸像が哈爾浜駅構内に設置されたそうですが、後年中国政府により撤去され、その場所には今は植木鉢が置かれているそうです。
銅像関係の過去記事:

梱包されたヴィットリオ・エマニュエル二世像(ミラノ・1970年)

梱包されたレオナルド・ダ・ヴィンチ像(ミラノ・1970年)
よくよく考えれば、人間は裸体という「ボディ」に被服という「皮膜」を纏っている(これを被覆という)のだし、絵画自体も壁やカンバスという「ボディ」の上に絵具という「皮膜」を作り上げているわけです。絵具という皮膜はパーマネントのようにも思えますが、最古のラスコーの洞窟絵画にしても描かれて1万5、6千年しか経っていません。地球の長大なる歴史と比べれば、とるに足りないテンポラリーなものです。クリストの芸術は、どこか儚い、最も人間らしい性格のものではないか。と思ったりします。
閑話休題。下の写真は、2006年1月に中国黒龍江省哈爾浜(ハルビン)、哈爾浜駅から数百mしか離れていない中心街、中央大街広場公園にできたデパートの前に忽然と現れた梱包芸術です。もちろんクリストの作ではなく、彼の芸術を模作したものであることは歴然です。

哈爾浜中央大街の梱包芸術
銅像と思われる部分の梱包材料は、中国に行くとよく目にする色使いの、工事現場などで使われる樹脂製のシートです。これとは別に、台座と思しき部分は、日本でもおなじみのブルーのシートで覆われています。この作品がクリストの作品と大きく違うのは、元々これが何のモニュメントだったのか、地元の人民の人たちにもよく知られていないことです。つまり元からあったモニュメントを梱包したのではなく、唐突に梱包された見えないモニュメントを展示したわけです。
調べてみるとデパートを建てた韓国実業家のイ・ジンハク氏が哈爾浜市政府に働きかけ、中央大街広場の一部を買い取ったうえで、私有地内に銅像を建て、2006年1月16日に盛大に除幕式を行ったそうです。ところが哈爾浜市政府の上部機関である中国政府は、この事実を察知し、すぐに銅像を「皮膜」で覆い、梱包芸術として10日間の期間限定で野外展示することにしたそうです。銅像はその後、韓国資本のデパート内の片隅に移され展示されているそうです。
で、見えない銅像とはいったい何だったのかということですが、安重根という、三重根とか大学の数学の授業を思い出させる名前の朝鮮人テロリストの銅像だったそうです。下のような「ボディ」を写した写真が残されています。

梱包前に一時的に露出された安重根像(高さ4.5m)
安重根は1909年10月26日にロシア訪問のため哈爾浜に立寄った初代韓国統監、当時枢密院議長であった伊藤博文を哈爾浜駅構内で暗殺し、処刑されています。
日本は1894年に日清戦争に勝利することで、当時、李氏朝鮮を保護下に置こうとしていたロシアを牽制しつつ、李氏朝鮮を属国として支配していた清国から、朝鮮の領土保全を確保しました。これを受けて朝鮮は1897年に大韓帝国として正式に独立しました。ソウルにある独立門や独立館は、それまで清国の使臣を迎えた迎恩門・慕華館を日清戦争後に改めて建立・改修したものです。

現行の韓国「太極旗」のオリジナルである「大清国属 高麗国旗」
朝鮮の国力は既に弱体化して一人立ちできる状態にはありませんでしたが、伊藤博文は朝鮮の自主性を認め完全独立国家とすることを主張した穏健派の中心人物でした。しかしロシアと朝鮮問題について会談する予定だった彼が安重根のテロに斃れたことで、結果的に朝鮮併合の世論が一気に高まりました。韓国内でも一進会から「韓日合邦を要求する声明書」の上奏文が皇帝に提出されるなどして、1911年にとうとう朝鮮併合が行われたのでした。安重根は韓国では英雄視されているようで(北朝鮮では抗日における金日成の反面教師としてマイナス評価されている)、今回の銅像建立に至ったのですが、外国人の、それも暗殺者の巨大な銅像を街頭に建てることを中国政府が許すはずもなく、今回の「梱包芸術」の期間展示と相成ったわけです。因みに暗殺後に伊藤博文の胸像が哈爾浜駅構内に設置されたそうですが、後年中国政府により撤去され、その場所には今は植木鉢が置かれているそうです。
銅像関係の過去記事:
圓明園・圓明新園の十二支噴水(北京・珠海)
独裁者の銅像
ヨン様の像(春川)
東條英機跪地雕像(海南省海口)
三大大仏
坂本龍馬とお龍
巨大仏