王の象徴であるユダのライオンが十字架を掲げ、ハイレ・セラシエの名が三位一体を意味することから容易に判るように、エチオピア王家はキリスト教徒であった。以前エジプト・カイロを旅したとき、街の東南の外れ、死者の街に接してあるコプト教教会を訪れたことがある。コプト教はキリスト教から派生した古代宗教で、そこには原始のキリスト教の姿が残されている。この教えがナイル川を遡り青ナイルの源流のあるエチオピアに達して、そこで広まったのではなかろうか。イスラム圏といってよい地域に存在するキリスト教国は殆ど奇跡である。
一方、アフリカから平底船に乗せられてジャマイカに売られてきた黒人奴隷たちの信仰生活はどうだったのだろう。ジャマイカは現在もキリスト教教区が行政区画となっているキリスト教国である。奴隷たちは望むと望まざるにかかわらず、自分を支配する農園のある教区の、信仰システムに組み込まれたに違いない。
そもそもジャマイカはマヤの人たちの棲む土地であったが、キリスト教宣教を大義名分としたスペインに征服されてしまう。原住の人々は憐れにもスペイン人に酷使され、欧州から持ち込まれた疫病の流行もあり絶滅してしまったのである。やがて植民地ジャマイカはスペインからイギリスの手に渡り大英帝国に組み入れられる。勤勉なマヤ人たちがいなくなった島は慢性的な労働力不足に陥っていて、イギリスは窮余の策として、まずアイルランド人を入植させている。彼らの扱いは白人奴隷に近いものだったという。続いてアフリカからの奴隷の大量移送が行なわれる。現在のジャマイカ国民の殆どがその子孫である事実からも、移送の規模は窺い知れる。
こうしてみると、アフリカ民族の悲劇を引き起こしたのは、大義とはいえ、ほかならぬキリスト教の拡大主義ではなかったのか?
続く
一方、アフリカから平底船に乗せられてジャマイカに売られてきた黒人奴隷たちの信仰生活はどうだったのだろう。ジャマイカは現在もキリスト教教区が行政区画となっているキリスト教国である。奴隷たちは望むと望まざるにかかわらず、自分を支配する農園のある教区の、信仰システムに組み込まれたに違いない。
そもそもジャマイカはマヤの人たちの棲む土地であったが、キリスト教宣教を大義名分としたスペインに征服されてしまう。原住の人々は憐れにもスペイン人に酷使され、欧州から持ち込まれた疫病の流行もあり絶滅してしまったのである。やがて植民地ジャマイカはスペインからイギリスの手に渡り大英帝国に組み入れられる。勤勉なマヤ人たちがいなくなった島は慢性的な労働力不足に陥っていて、イギリスは窮余の策として、まずアイルランド人を入植させている。彼らの扱いは白人奴隷に近いものだったという。続いてアフリカからの奴隷の大量移送が行なわれる。現在のジャマイカ国民の殆どがその子孫である事実からも、移送の規模は窺い知れる。
こうしてみると、アフリカ民族の悲劇を引き起こしたのは、大義とはいえ、ほかならぬキリスト教の拡大主義ではなかったのか?
続く