実は明月院界隈はずっと前から訪れてみたい場所でした。どうせ訪れるのなら、紫陽花の綺麗なシーズンがいいな。と思い、今回の小旅行となりましたが、目的はもうひとつありました。

北鎌倉の駅から明月院に向かってしばらく歩き、生垣に沿う小道をたどって左に折れ、急な坂道を登りながら右手を見上げると、張り出した岩の上に、白い壁とペパーミントグリーンの南京下見の建物が建っています。玄関に通じる階段に近づくころには、きっと犬が吠え始めるでしょう。耳ざとく足音を聞きつけたわが家の番犬、柴犬のぼたんです。

18年の結婚生活に終止符を打ち他界されてから、さらに18年が経ちました。龍子未亡人が在りし日の夫の回想を綴った「澁澤龍彦との日々」からの一節です。澁澤邸は北鎌倉山ノ内にあるのです。その建物は、澁澤の友人、有田和夫氏の手によるもので、その建築に際して澁澤は次のような要求を行ったそうです。

当世流行にのらざること。材料、仕上、色彩などをできるだけ制限し華美ならざること。人間空間、クラシック家具および調度に耐えられるインテリヤ。ただし食事や衛生のための諸設備は最新の便利さを存すること。総じて古いものへの郷愁におちいらず、その良さを再発見し、さらに新しいものを正当に評価する態度

明月院を左手に折れると、それまでの混雑とは打って変わって道行く人も少ない閑静な住宅街、山ノ内地区です。篠山紀信が撮影した澁澤邸の写真を記憶に留め、坂道の多い街を彷徨いました。しかし見つかりません。住所を調べずに来たのが無謀だったと悟り、もと来た道を帰りかけました。すると前方から、帽子にサングラス、手には紀伊国屋の袋を持った上品な女性が向かってきます。すれ違うと坂道を上がって行くではないですか。その姿は、澁澤龍彦の三人の妹の一人、最近「キプロス島歴史散歩」を上梓された澁澤幸子さんにどこか似ているような気がしました。思わず回れ右して、後をつけてしまいました。これってストーカーかも。どきどきして見ていると、彼女はゆっくり坂を上がり、道の脇から、とある階段を上がって、門扉を開けて白い家に入っていきました。


少し遅れて階段を上り表札を確認したのですが、そこには柴犬のぼたんはおらず、「澁澤」とは全く別の苗字が書かれていました。どうやら他人の空似だったようです。というか、幸子さんとお会いしたこともなく、お姿は写真で拝見しただけなので、似ているかどうかも自信がないのですが。

結局、白い壁の澁澤邸は見つけられず、紫陽花の咲く道をとぼとぼと戻りました。生前、澁澤もこの小道を歩き、ふと足をとめて紫陽花を見ていたんじゃないかな。と思いつつ。