10世紀から続いたモアイの制作は、17世紀のある時期を境にしてぴたりと止められる。閉ざされた島の自然が人々の食尽と森林資源の蕩尽に応えられなくなったとき、飢餓が人々を襲い、もはやモアイ作りどころではなくなったのであろう。モアイ派と反モアイ派の権力者間で内戦が起こり、権力交替の末に、夥しい数のモアイが犠牲となって倒されたに違いない。その後、島民人口の激減によって島は再び均衡を取り戻す。しかし、その均衡は所謂、縮小均衡である。島の生態系が閉ざされている限り、再び豊かな自然は戻らない。
人類はこの教訓めいた島の歴史を再び繰り返しているように思えてならない。それも終焉に向かって遥かに大規模に。地球の人口は、産業革命以来、幾何級数的に増加している。そのうえ人類は、石油を初めとする天然資源を、かつてない恐るべきスピードで、地球規模で蕩尽しようとしている。資本主義の経済システムの中で、様々なプロモーションに煽られ、欲望のままに、刹那的に、象徴的消費を続けるその姿は、やがてカヌーが作れなくなることを忘れ、より巨大なモアイを作ることに熱中した姿、挙句の果てに飢えに直面したラパ・ヌイの人々に似てはいないか?
地球という「大きな陸地」にあって、ラパ・ヌイは絶海に隔てられ孤立した面積僅か166km2の小島に過ぎないが、銀河系宇宙を海に喩えてみれば、地球もまた大海のはずれに顔を覗かせる小さな嶼、岩礁に過ぎない。島民はカヌーを作ることが叶わず海を渡るのを諦めたが、人類もまた地球を捨てて外海に出て行くことはできない。地球はラパ・ヌイと同様に閉ざされているのである。
皮肉なことにラパ・ヌイ(Rapa Nui)とは「大きな陸地」の意なのである。
つづく
人類はこの教訓めいた島の歴史を再び繰り返しているように思えてならない。それも終焉に向かって遥かに大規模に。地球の人口は、産業革命以来、幾何級数的に増加している。そのうえ人類は、石油を初めとする天然資源を、かつてない恐るべきスピードで、地球規模で蕩尽しようとしている。資本主義の経済システムの中で、様々なプロモーションに煽られ、欲望のままに、刹那的に、象徴的消費を続けるその姿は、やがてカヌーが作れなくなることを忘れ、より巨大なモアイを作ることに熱中した姿、挙句の果てに飢えに直面したラパ・ヌイの人々に似てはいないか?
地球という「大きな陸地」にあって、ラパ・ヌイは絶海に隔てられ孤立した面積僅か166km2の小島に過ぎないが、銀河系宇宙を海に喩えてみれば、地球もまた大海のはずれに顔を覗かせる小さな嶼、岩礁に過ぎない。島民はカヌーを作ることが叶わず海を渡るのを諦めたが、人類もまた地球を捨てて外海に出て行くことはできない。地球はラパ・ヌイと同様に閉ざされているのである。
皮肉なことにラパ・ヌイ(Rapa Nui)とは「大きな陸地」の意なのである。
つづく