鰊御殿から青山別邸に向かう途中、観光タクシーのコースに入っている祝津展望所に連れていって貰いました。足元には水族館、その向こうには先程見学した鰊御殿の赤い屋根や、日和山灯台が望めます。後方には、海に迫る赤岩山という文字通り赤い山があり、その絶壁はロッククライミングの練習場になっています。実はその向こうに、小樽の地名の由来となった風光明媚な「オタモイ海岸」があります。ここに行けなかったのは少し残念なんですが、Tomotubby がずっと気になっている場所なのです。実は、戦前、その崖にへばりつくように一大リゾートがあったのです。
昭和初期に小樽花園で隆盛を誇った割烹「蛇の目」の店主、加藤秋太郎は、知人から「小樽には名所がない」と言われたことから、小樽に新名所を作ろうと一念奮起して、このオタモイ海岸を探しあてました。
その景勝地は古来「白蛇の谷」と呼ばれていましたが、秋太郎は昭和7年まず白蛇に因んだ「白蛇辨天堂」を建立します。続いて10万坪の敷地に130人収容の巨大な「辨天食堂」を建てます。そして「白蛇辨天洞」なるトンネルを掘り進み、切り立った断崖の上に京都・清水寺を凌ぐ規模の宴会場「龍宮閣」を建設したのです。急崖に「舞台」を懸造りにして張り出し、礎石の上に巨大な柱を何本も立て並べて支えています。
昭和11年、桜並木、錦鯉の泳ぐ池、数々の遊具、相撲場、演芸場などの遊園施設が整備され「夢の里オタモイ遊園地」が完成しました。最盛期には一日に数千人の人々で賑わったといわれます。特に人々を驚かせたのは龍宮城のような「龍宮閣」でした。
しかし戦争が始まると、遊園地は贅沢と見做され、「贅沢は敵だ」ということで客足が遠のき営業停止をやむなくされます。終戦後、営業再開を目前に控えた昭和27年5月10日「龍宮閣」は惜しくも失火から炎上してしまうのでした。落胆した秋太郎は、故郷名古屋に帰り、姿を消してしまいました。
つづく
昭和初期に小樽花園で隆盛を誇った割烹「蛇の目」の店主、加藤秋太郎は、知人から「小樽には名所がない」と言われたことから、小樽に新名所を作ろうと一念奮起して、このオタモイ海岸を探しあてました。
その景勝地は古来「白蛇の谷」と呼ばれていましたが、秋太郎は昭和7年まず白蛇に因んだ「白蛇辨天堂」を建立します。続いて10万坪の敷地に130人収容の巨大な「辨天食堂」を建てます。そして「白蛇辨天洞」なるトンネルを掘り進み、切り立った断崖の上に京都・清水寺を凌ぐ規模の宴会場「龍宮閣」を建設したのです。急崖に「舞台」を懸造りにして張り出し、礎石の上に巨大な柱を何本も立て並べて支えています。
昭和11年、桜並木、錦鯉の泳ぐ池、数々の遊具、相撲場、演芸場などの遊園施設が整備され「夢の里オタモイ遊園地」が完成しました。最盛期には一日に数千人の人々で賑わったといわれます。特に人々を驚かせたのは龍宮城のような「龍宮閣」でした。
しかし戦争が始まると、遊園地は贅沢と見做され、「贅沢は敵だ」ということで客足が遠のき営業停止をやむなくされます。終戦後、営業再開を目前に控えた昭和27年5月10日「龍宮閣」は惜しくも失火から炎上してしまうのでした。落胆した秋太郎は、故郷名古屋に帰り、姿を消してしまいました。
つづく