
まず九龍城砦が日本に知れ渡る契機となったのは、1988年刊行の宮本隆司氏の写真集「九龍城砦 kau lung shing chai」です。
この写真集は今はなきペヨトル工房から発行されたものです。オール白黒写真で、どのページにも一面に蟻の巣のような空間がこれでもかというくらい密度濃く繰り広げられています。映画で「鉄男」というのがありますが、無機質なスクラップが蝟集することで有機的になるあたり、ちょっと雰囲気が似ています。1989年の塚本晋也監督のデビュー作ですが、時代も近いですよね。この写真集は、カバー装丁や紙質はチープなんですが、いい味が出ていて私のお宝でもあります(因みに正価より安く買いました)。
ペヨトル工房は、1979年に、フランスの小説家アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ(澁澤龍彦訳「ボマルツォの怪物」や生田耕作訳「閉ざされた城の中で語る英吉利人」(ピエール・モリオン名義)が文庫でも出てます。奢覇都館刊行の生田耕作訳で「ポムレー路地」って本では、フランス・ナント市に実在するパサージュが写真入りで出ていて、思わず行きたくなりますよ。私は「海の百合」が好き)と妻の画家ボナ・マンディアルグ(渦巻き大好き)を特集した雑誌「夜想」の記念すべき第1号が発刊されて以来、2000年4月に解散するまで20年近く続いた特異極まる出版社でした。(あのサンリオ文庫同様に)解散に伴って在庫書籍が断裁処分になることを嘆いた読書人たちが運動し、特定の書店が在庫を引き取ることになりました。88年版「九龍城砦」は探している人が多く、果たして在庫として残っているかどうかは判りませんが、ホームページに出ている書店にあたって見る価値はあります(ほぼ絶望的のようです)。
それから有名な話ですが、元祖サイバーパンクのウィリアム・ギブスンはこの88年版に触発されて小説「あいどる」(浅倉久志訳)を書いたらしいです。
宮本氏は88年には「建築の黙示録」も発表されていて、木村伊兵衛写真賞を受賞され、一躍廃墟写真の大家となられたのでした。最近の廃墟ブームの源流といってもよいと思います。
なお88年版「九龍城砦」の写真は、すべて1987年に撮影されています。当時、九龍城砦の取り壊しは既に規定路線で、壊される前に一目見ようと、日本からも物好きがたくさん訪れたそうです。香港にいた Pet 君が親に黙ってこっそり探検にでかけたのは、記憶は定かではないそうですが、どうやら1988年の夏らしく、その頃は北側(黄大仙側)と東側に公園ができていて、昼間ならあまり怖くは無かったそうです。西の通りに面した一階には、もぐりの歯医者の出した「牙科」という看板がたくさん並んでいて、つげ義春の「ねじ式」みたい(確かこちらは眼医者だけど...)だったそうです。
88年版「九龍城砦」所載の写真に、住民が追い出された直後の92年の写真、取り壊しが始まった93年の写真が追加され、あの荒俣宏氏の解説つきで、1997年、香港返還の直前に平凡社より新たに刊行されたのが写真集「九龍城砦 kowloon walled city」です。88年版と装丁も立派になり趣きは違いますが、今本屋に並んでいるものの中では、なんといってもお奨めです。風格さえ漂っています。
九龍城なきあと、宮本氏は、確か写真雑誌に、MTR葵芳駅近くに今も健在の「煙突ビル」の写真を発表されていました。ビルの中に工場があって窓から煙突を外に出したロボットのようなビルです。ここは九龍城みたいに壊さないで産業遺産として保護して欲しいです。最近では、宮田珠己さんが最新作「52%調子のいい旅」の中でこのビルについて触れられています。
次に、英国 Watermark Publications 刊行の Greg Girard「City of Darkness~Life in Kowloon Walled City~」。私の記憶が正しければ、最初の頃のものは表紙に赤い紙の帯がついていたと思います。この本の日本訳が先般イーストプレスから出された「九龍城探訪 -City of Darkness-」です。宮本氏の写真集は白黒でクール、あまり人間が出てきませんが、こちらはカラー写真満載で、クーロンズゲートの元ネタらしいですが、どちらかというと九龍城で暮らす住民の生活を描いたものと言っていいでしょう。イーストプレス版は洋書に比べて安っぽくて、私はあまり好きではありません。記載が日本語で読める点は楽ですが。
それからプラスチックカバーに入った中村晋太郎氏の写真集「最期の九龍城砦 完全版」が再発したのか、今でも手に入ります。新風舎刊。取り壊し直前から取り壊し途中の九龍城の写真が主です。同じモノクロ写真だけど、宮本氏の迫力ある写真に比べると...やはり負けています。
Pet 君も加わって、復刊ドットコムで復刊要請をしている「大図解 九龍城」は、やはり香港返還の97年、岩波書店から出された大判の本で、写真集というより、ありし日の九龍城のフィールドワークをまとめた図解本です。しかし九龍城を上空から撮った写真がたくさん出ていて。詳細なる断面図が満載の本で楽しいですよ。古書店では結構高く売られています。
あと私の敬愛する村松伸氏の著作で「香港-多層都市 現代亜州城市観察」というCD-ROM付の本が神田の中国専門の東方書店から出ていて、確かCD-ROMのなかに九龍城の写真があったと思います。この本は最近見ないけど、小さくて正方形の版で白黒の装丁がおしゃれです。村松氏は、中国を代表する四つの建築として、故宮、天安門広場、上海のバンドとともに、九龍城をあげていました。