新たな可能性を秘めた曲。YMO「中国女」 | よねともが気ままに思うブログ

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前回に続いてYMOから。本日はYellow Magic Orchestra「中国女 (ちゅうごくおんな・La Femme Chinoise)」(1978年リリース、アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』収録) です。




YMOメンバーの一人、高橋幸宏さんは高校在学時にはスタジオ・ミュージシャンとしてプロの世界に入りました。「東風」でも述べましたが、その正確なリズムとタイトなドラムで多くのミュージシャンのドラムを叩いてきました。そんな中で1972年に、加藤和彦さんの誘いを受けて、脱退したつのだ☆ひろさんの後任としてロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」のドラマーとして加入しました。


サディスティック・ミカ・バンド。右から2人目が幸宏さん。

サディスティック・ミカ・バンドは「ザ・フォーク・クルセダーズ」の加藤さんが、当時の妻である福井ミカさんをボーカルにして作ったロックバンドでした。当時としては斬新なロックサウンドを作り、日本ではあまり受けることはなかったのですが、1974年発売のアルバム『黒船』がアメリカ・イギリスでも発売され、特にイギリスで注目を浴び、ロキシーミュージックの全英ツアーの前座を務めました。さらにイギリスのテレビ番組にも出演し、この勢いのまま日本に凱旋するつもりでしたが、福井さんと加藤さんが離婚したことでサディスティック・ミカ・バンドは解散します。

幸宏さんはスタジオ・ミュージシャンの傍ら加藤さんと福井さんを除いたリズム隊のメンバーで「サディスティックス」を結成し、アルバムを出したり、その音色に惚れた矢沢永吉さんの東京・日比谷野外音楽堂でのライブに参加するなどしていましたが、1978年に旧知の仲だった細野晴臣さんから誘いを受けてYMOに参加します。

YMOでの参加にあたり、ドラマーが本職の幸宏さんでしたが、細野さん・坂本龍一さんに倣って自身も作曲をすることになります。この「中国女」は幸宏さんが作曲したものです。1978年の5月にはソロアルバム『サラヴァ!』を発表し作曲も行っていますが、当時幸宏さんは作曲にあまり慣れていなかったこともあり、坂本さんから作曲の技法を教わるなどしていました。「中国女」は幸宏さんが断片的に作ったメロディーを細野さん・坂本さんの2人でアレンジしていき、肉付けしていったものとなっています。

よくYMOを語る上でメンバー3人の作曲の特徴を、

・重厚な細野晴臣
・繊細な坂本龍一
・ポップな高橋幸宏

と言われていますが、この『イエロー・マジック・オーケストラ』においてもこの曲の坂本さんのシンセサイザーのメロディーが少しポップさを感じ、同時にミニマル・ミュージックの手法がとられています。(上記の特徴は次作『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が特に顕著になります)  イントロのシンセサイザーのメロディーは、坂本さん曰く「三本指でしかキーボードを弾けないキーボーディスト」を想定し、ダサいけどカッコいいものを求めた結果だとしています。曲中のフランス語ボイスはレコード会社社長秘書だった方によるボイスで、細野さんの提案です。ドラムは幸宏さんの生ドラム、ベースは細野さんのシンセ・ベースです。そしてこの曲にはエレクトリック・ギターが曲後半から使われており、幸宏さんと同じサディスティック・ミカ・バンドのメンバーだったギタリスト・高中正義さんが参加しています。高中さんは坂本さんから「パンクみたいなディストーションのギター」という注文を受けましたが、意味をあまり理解できず、サッと演奏したテイクが使われて、そのまま帰ったそうです。

そしてこの曲の後半から、幸宏さんのボーカルが使われています。歌詞はイギリス出身の詩人、クリス・モスデルが作りました。細野さんはYMOをインストバンドにしようと考えていましたが、坂本さんからの推薦で幸宏さんがボーカルを務めることになりました。この曲の幸宏さんのボーカルを聴いた細野さんは、幸宏さんを以後YMOのリード・ボーカルにしていくことを決めます。

この曲がYMOの新たな可能性を秘めたといっても過言ではありません。ちなみにこの曲のタイトル「中国女」も、「東風」同様にジャン=リュック・ゴダール監督の映画のタイトルから付いています。