法華堂跡のすぐそばに

【三浦氏供養のやぐら】があります。





ここに供養されているのは、
鎌倉幕府の有力御家人、三浦泰村。

【鎌倉殿の13人】で、義時の親友
山本耕史さん演じる三浦義村の次男です。


北条義時も、三浦義村も死去した後
すなわち、【鎌倉殿の13人】の
物語も終わった後


宝治元年(1247)
三浦氏の権力拡大を恐れた、
北条時頼(北条泰時の孫)の策略にはまり、
三浦泰村は、鎌倉で挙兵するも、
北条軍に大敗。

追い詰められた三浦義村と妻子一族郎党276人が
この法華堂で自害して果てました。
世に言う【宝治合戦】です。

ここに、鎌倉の名家三浦氏は滅亡するのでした。


やぐら とは、13〜15世紀に建てられた
横穴式墳墓。
鎌倉周辺でよく見られるといいます。

つまり、三浦泰村と一族郎党のお墓なのです。


写真でもわかるように、
この日もお花が供えられており、
今なお、手厚く供養されている事がわかります。


北条義時の墓はなけれど、
北条氏に滅ぼされた三浦氏の墓は
後世まで残されている。

日本人の慰霊の精神風土が、
息遣いているようでした。


尚、三浦泰村ですが、
名前から分かるように、烏帽子親は、北条泰時。
しかし、北条泰時と三浦泰村の生年は
ほぼおなじ、1184年頃。

なので、本当の烏帽子親は、北条義時政(小栗旬さん)と推察されます。
さらに、北条義時存命時に北条義時の猶子となっているため、両家の深い関係が伺えます。


つまり、もしかすると、
山本耕史さん演じる義村が、
八重さんに預けた子供は、
もしかしたら、三浦泰村?かも?


勝者と敗者のコントラストもまた
鎌倉殿の13人のテーマであり、
法華堂跡は、その舞台でもあったのです。