大坂陣中にて、将軍家茂が突然崩御し



徳川慶喜を次期将軍へ推す声が
高まってきました。



幕府直参となる事を喜ぶ一橋家にあり、

逆に奈落の底へ突き落とされた如く
落胆する、篤太夫と政一郎。



渋沢栄一自伝『雨夜譚』でも
その落胆、失意の様を、栄一自身が
長々と語っております。


原市之進に、再三再四訴え、
それならば、慶喜の御前にてその趣を建白しろ、

となり、君公との拝謁となる段取りであったが
板倉、永井らの要請で、にわかに大坂へ下ること
となり、拝謁が叶わなかった、と、
書き綴っています。


篤太夫が何故、慶喜の将軍相続に
これほど落胆したのか。

それは、ドラマで吉沢亮さんの台詞にもありましたが、
『雨夜譚』から抜粋するならば、


徳川家は、もはや倒壊寸前の家屋で
大黒柱一本取り替えても保つものでもない。
賢公な慶喜であっても一人ではドウすることも出来ないであろう。
将軍相続は、失策の極み、危殆千万な事柄だ。


という主旨でした。


しかし、その前後や、雨夜譚を読み進めていくと

直に献言、進言ができ、
お側でお仕えお支えしていた慶喜公が、
将軍になる事で
手の届かない、遠い存在になる事への
寂しさ、無念さ、も大きかったと思われます。


平岡円四郎と同様、
篤太夫も、

『慶喜病』

かかってしまったのですね💕


『雨夜譚』では、
嬉々として慶喜と直に話した、
慶喜公に、進言したい、

等々の文言が
兎に角多い ❣️

幕府が終焉してしまっても
そのベクトルは生涯変わらずです。

そして、慶喜という人物の
底無し沼の魅力を
草薙剛さんが存分に演じてくれています。



多分、このとき、慶喜には、
渋沢栄一の進言も、耳に入っていたでしょう。

栄一の先見の明の確かさは、
一橋家での数々の実績で証明済みです。

慶喜自身も、幕府の命脈が尽きる事を
感じていたでしょう。

それでも将軍職を受けたのは

江戸幕府の看板の下ろし方を探り
新しい世の中への移行を
自ら差配するつもりだったのかもしれません。


そう、思わせるのは、
やはりつよぽんの演技力の賜物、ですね。



直参となるも、御目見以下の
"陸軍奉行支配調役' という、低い役職での
奉公に、少しも身が入らない篤太夫。

それもそのはず、
『御目見以下』という事は、慶喜公とは
もう顔も合わせられない立場。

慶喜病の再発😅ですね。

『朝も早くには出勤せず、書物でも読んで昔の
英雄豪傑を友として法螺を吹いて居るという風になった。』

だそうです笑
法螺吹きだと自虐する所が、
なんとも栄一らしい❣️


そんな失意の日日に、
一つの事件に、遭遇します。

"大沢源次郎の召し捕り" です。


事件のあらましは、ほぼドラマ通り。

ただし、『雨夜譚』には、共に捕縛したのは、
土方歳三ではなく、近藤勇になっています。

でも、他の書物によれば、
栄一と行動したのは、土方歳三とある?


この時期、近藤勇局長が直に出動するとは考えられず、やはり土方歳三の線が濃いそうです。

史実はともあれ、   



吉沢亮さんと、町田啓太さんの共演は
顔面偏差値がやば過ぎでした✨✨
  
武州の農民の、イケメン率よ。
 



町田啓太さんの殺陣も華麗にして鋭く
土方歳三、はまり役ではありませんか❗️


大沢源次郎捕縛の引き継ぎで
土方歳三と渋沢政一郎も初顔合わせ❗️

これは、函館戦争へのフラグてみて
間違いなさそう。
栄一は日本には居なくとも、
函館戦争、しっかり描いて欲しいし
期待が膨らみます。



平沢捕縛後は、
日に増し境界は面白くなく、
将軍になった慶喜には、拝謁も許されず、
辞める事ばかり考えていた篤太夫に、

大きな転機が訪れるのでした。




余談ですが、
徳川太夫が、千代さんへ贈った懐剣の
実物の写真です。





慶応2年6月
長州征伐に出征することになった篤太夫が、
遺品として、手紙と共に、千代さんへ
送ったものです。


実際には、将軍家茂の逝去のため
出陣は中止となりました。

その手紙も残されており、
栄一の人柄や、千代さんへの熱い想いが
伝わってきます。


こりゃ、モテるわ〜💕



「一筆示し申あけます。それ以降手紙を書くことがなく、そなたからも手紙がないが、血洗島の人々もお変わりなくお暮らしのことと喜んでいます。私も変わりなく仕事を勤めていますのでご心配ないようにお願いします。以前から度々言っていたそなたを京都によぶよう進めてきてもうその時節にもなったので、日々生活をしながら呼ぶのを待っていたところ、思いがけず、今回長州へ御出陣の御供を仰せつけられ、これから出陣するので、そなたを京都に呼ぶという事も残念ながらしばらくはあきらめなければならない。

 しかし、いくさは武士の常、さほど心配することでなく、やがて吉報を知らせることができるだろうから、その日を数えて待っていてください。永い別れになるので、今度こそ会った上で、これまでの多くの苦労を話したいが、また二百里もの距離がある西国へ行くことになり、仕方がありません。御両親への孝行をおこたりないよう頼みます。娘の歌子も日ましに大きくなっているとのこと、女なからもたのもしいことで、そのうち会える時もあるだろうと待ちわびています。いろいろと話したいことが多くありますが、まことにせわしいので、思う事を十分に行くこともできません。ここで筆を留めます。  

 八月今日      とく太夫

    お千代殿へ

        

末筆ながら手計のお母さんにもよろしく頼みます。

また別途送った一包はそなたへの形見のつもりの懐剣であるので大切にしてください。されども、私の消息がはっきりしないうちに、不慮の出来心を起さないようにくれぐれもよろしくお願いします。万が一私が亡き者にでもなれば、その後はしっかりと思案してください。いずれにしてもめでたく戦に勝って帰ってくるつもりなので、その節にはいろいろと話をします。

この手紙を大事にしてください。また手計のお母さんにはお目にかけて、もしもの節は御相談されるようよろしくお願いします。手計のお兄様へは別途手紙を差し上げないので、こちらもよろしく頼みます。

いろいろ書きたいことはありますが残念に思いながら書かずに残しておきます。」



























家茂(磯村勇斗)が亡くなった。慶喜(草彅 剛)の次期将軍就任が避けられぬと目される中、篤太夫(吉沢 亮)は「今将軍になっても、国中の非難を一身に背負うだけ」と慶喜に進言する。一方、薩摩の大久保一蔵(石丸幹二)は公家の岩倉具視(山内圭哉)と共謀し、王政復古を画策していた。慶喜が徳川宗家を継いだことで幕臣となってしまった篤太夫は失意の日々を送っていたが、ある日、謀反人の捕縛を命じられる。警護のために同行するのは、新選組副長・土方歳三(町田啓太)だった。