第12回

【高崎城乗っ取りと横浜外国人居留地焼き討ち計画】の頓挫から栄一と喜作の出立、

そして平岡円四郎との邂逅が描かれておりました。

 

が、 なんと、

 

これすべて史実です!!

 

 

まるでドラマみたいな内容ですが、

すべて、史実なんです。

渋沢栄一自伝「雨夜譚」で栄一自身が語った内容とほぼ同じなんです。

 

本当に、びっくりですよね。

 

史実は小説よりもドラマティック❗️

 

 

先週の感想分で引用した市郎右衛門のセリフも、そのままドラマで引用されており、

小林薫さんの朴訥とした語りと、吉沢亮さんの涙目に、鳥肌ものでした。

 

 

前回も書きましたが、

血洗島村に、こんなかっこいい父子が生きていたのです。

 

 

また、前回の感想でも書いたように、渋沢家の先祖が「甲斐武田家の出身」であったことも

父が、「武家になりたかった」夢と、

しかし、それでも「百姓の誇り」をもち続ける姿とリンクして、さらに物語に深みが増しました。

 

素晴らしい演出でした。

 

そして何よりも、長七郎兄い~~~!




 

彼が、命を懸けて兄惇忠や栄一たちの暴挙を止めたのも、史実。

 

【雨夜譚】を抜粋しますと、



"10月25、26日頃になって、尾高長七郎が京都から帰ってきた。

ほかでもない10月29日の夜、いよいよその事を挙止を決するために、手計村の惇忠の家の二階で、

惇忠、長七郎は勿論、自分と喜作と中村三平と五人集合して評議を始めたが、

長七郎のいうには、暴挙一案は大間違いである。

今日七十人や百人の烏合兵では何することも出来ない。

現に十津川浪士のような者で、わずかに五条の代官を破ったまでで、直に植村藩に拒ぎ止められてしまった。

今この計画したような乱暴なことをして、万一流賊一揆と見做されてことごとく縛首の刑戮に逢うようなことがあっては残念だ。

 

しかし、

自分(栄一)は決してやめぬ、

必ず欠決行すると言う。

この時も徹夜して論じた末に、長七郎は自分を殺しても挙行を抑止するというし、

自分も長七郎を刺しても挙行するというので、ついに両人して「殺すなら殺せ、刺違えて死ぬ」というまで、血眼になって論じた。」

 




ドラマの熱演がそのまんんま、目に浮かびますよね。

 

結果、栄一やメンバーもつきものが落ちたように、

「なるほど長七郎の説が道理であっる。」と計画を止めることになり、

メンバーには、それぞれ手当なども遣って解散した。』

 

とあります。

 

当時、幕府に八州取締という密偵があり、変な風評を聞を聞くと直に探索してたちまち召し取られる。

そこで、しばらくは身を隠す必要あある。

 

そこで、栄一と喜作はこれから京都へ行くことに決めて、

近隣は親戚には、伊勢参宮かたがた京都見物にいくと吹聴して

11月8日、故郷を出立したのです。

 

尾高惇忠は、年長ですでに父が亡くなっており家の戸主であるから、と故郷に残り、

長七郎は撃剣の指南をしならか、時機を見て京都へ来るという段取りであったそうです。

 

出立前に、父に、暴挙の準備として、160両ほど家のお金を使い込んだことを告白したのも史実です。

 

そのとき、父は「自分の遊興で金銀を費やしたことなどなかったから、家の経費とみなす」と許してくれたばかりか、

家を出た以上、戻ってくるかもわからぬ、いくらでも持っていけと、栄一へ言いました。

 

 

 

さすがの栄一も、お金はいらないし、この命も短いかもしれぬけれども、道中に少しばかり入用だと言えば、

「よろしい、もってゆけ」と百両をずばっと、渡してくれたそうです。

 




本当に、すごいおやじ様です。

 




ドラマでも、栄一が血洗島を出立した日は、天高い秋空でしたね。

千代さんの気丈な姿が、胸を打ちます。




 

「雨夜譚」では千代さんについての記述がほとんどないのですが、

栄一が幼馴染の千代さんを愛していたのは、残された手紙などからはっきりとわかります。

 

残された写真からも橋本愛さんに似た、美しい奥様と可愛い子供を残してでも

なすべき事がある栄一と、喜作は、まさに、「志士」そのものでありました。

 

 

そんな二人の若者に目をつけていたのが、平岡円四郎。

 

栄一と喜作が、平岡にであったのも、ドラマどおり、暴挙を計画中の時でした。 



 

「雨夜譚」にこう書いていあります。

 

”一橋家の用人に、平岡円四郎という人があって、幕吏の中ではずいぶん気象のある人で、

書生談などがいたって好きであったから、自分と喜作はその前(暴挙計画)からたびたび訪問して

よほど懇意になって居ました。”

 

つまり、栄一と喜作は、江戸遊学中に、書生談の好きな円四郎と出会っていたのです。

 

平岡は、栄一と喜作との会話で、二人が気に入ったようで



”農民の家に生まれたということであるが、だんだん説を聞いて談じあってみると、

いたって面白い心掛けで、実に国家のために力を尽くすという精神が見えるが、

残念ながら、身分が農民では仕方がない。

幸に一橋家には士官の途もあろうと思うし、また拙者も心配してやろうから、直に士官してはどうだと勧められた。”

 

とあります。

 

尾高塾で学問を学び古今東西の本を読み漁り、剣術にも励んだ農家の若者が、

水戸藩からその器量を才覚を認められ、慶喜の直臣となっていた、当代一流の幕臣から

士官を勧められていたのです。

 

ドラマの展開が唐突に見えましたが、

堤真一さんのセリフも、士官の誘いもすべて、史実なんです!

 




まさに、事実は小説よりも、ドラマティック~

 

結局、この邂逅が、その後の栄一の人生の転機を呼ぶこととなるのです。

 

人生のチャンスは、どこに転がっているかはわからないものです。

 

血洗島を出立した栄一と喜作が、まず出向いたのは、

 

江戸。平岡宅。

 

さあ、どんなドラマに仕立ててくれるのでしょう!

わくわくします。




ただ、気になるのが、

長七郎兄いの虚ろな表情…




 

 

兄い…😭