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今でもあるのかなぁ・・・

 

昔々住んでいた日野の家のすぐ近くに

雪印の大きな工場がありました。

そこでは、ヨーグルトとかアイスなどを作っていたと思います。

 

音大のピアノ科で研鑽を積んでおりました私は

電子パイプオルガンが欲しかったのと、

コンサート代を稼ぐために

そこでバイトをすることにしました。

今振り返ると真面目過ぎるくらい真面目だったわ

 

全貌が分からないくらい大きな工場の片隅に

ほんの小さな事務所がありました。

工場から出荷される商品を

早朝というより真夜中にトラックで出発した運転手さんが

各スーパーに届けて次の日の伝票を預かって来る。

 

私は午前は帰ってきた運転手さんたちから

伝票を受け取って製造ラインに送るための端末に入力し、

午後は伝票作りをしていました。

 

浮かれ騒ぐようなバブル期真っただ中において、

これほど超絶に地味なバイトを

私ほど楽しんでやってた女子大生はいなかったと思う。

 

トラックのおじさんたちとの他愛無い日々の会話、

工場の食堂や休憩室でのおばちゃんたちの世間話、

ここに就職しちゃおうかしら・・・と思うくらい楽しかったルンルン

 

そしてみんな、心底優しかった。

 

私・・・

実は、ヨーグルトの必要個数入力をですね・・・ガーン

 

12個と、12ケース(144個)を間違って入力しちゃったことがあるんです。

それで、仕事が終わって事務所からしょげながら帰ろうとしていると

「ほれ、たくさんできちゃったから持って帰りな!」

って、叱らずにヨーグルトを山ほど持ち帰らせてくれた。

それ・・・私のやっちまったミスでんがなアセアセ

雪印さん、本当に申し訳ありませんでしたm(__)m

 

それとか、

とあるトラックの運転手さんから

自分と自分の息子にピアノを教えてほしいと言われて

私の自宅で1年くらいレッスンもしました。

 

クリスマスに別の工場に行って

アイスケーキの売り子をして

在庫が足りなくなるほどバンバン売っちゃったりもしたwww

 

そして今でも絶対に忘れられないのが

工場の社員食堂のメニューで

(いままで私が食べた中で)

日本一、世界一、宇宙一美味しい「にゅうめん」があったこと!

にゅうめんを食べたのもそれが初めてでしたが

その美味しさがどうしても忘れられずに

何度も何度も繰り返し挑戦しているのですが

あの味にはどうやっても近づけない。

でも、また必ず挑み続けます!

 

思い出は30年以上も前のことだけど、

私の中で雪印日野工場では

日本一、世界一、宇宙一の最高の工場です。

 

日本の食、日本の物流、日本のモノづくり、

そして雪印さん

ありがとうございます。

こころから応援しています。

 

次のお買物の日には

牛乳とヨーグルト買ってこよう!!