10月30日頃に書かれている。

V・ファーレン長崎とセレッソ大阪。


【マトリックス】


友ちゃんは今までマトリックスを観た事がなかった。
鑑賞中、約(役)1時間経過した。


映画マトリックスの鑑賞中に友ちゃんが感じた短所。

セミナー系連中が当時、耽溺してこの映画に夢中だったのだ。
セミナー系が「自分はこっち側だ。違いがわかる人間だ」と錯綜し、錯覚するのは、楽な方に持って行かれ易いタイプが多いからだ。

「あなたには見えていないものでも私なら見切れる」と言わんばかり、だが間違っている事には成るまい、となれるのだ。
そんな風に中途半端だらけの中だるみの内容。

その分、セミナー連中は『「持っている」ことにさせてもらえる、と自分ごと持って行かれてしまう』のだ。

だからこの映画が人気がある理由が友ちゃんにはわかる。

もちろん観てるだけで探求させられる映画だから、鑑賞するものは皆「見出そう!」と単純に躍起になる。その際にセミナー系と同一化され、罪悪感や懸念材料を抱かされ、巻き込まれる可能性があることも、念のため付け加えて差別化する。

例えば、視聴者は見応えがないから、見応えを自分にもたらそうと躍り出る。楽しもうとする。
一方、セミナー連中は、その視聴者の反応に応じて「もたらす」「与える」側に回りたがる。
丸め込みたがるのだ。我々には「見抜けている」と吹聴したがる、発作的に支配する側に回りこむことで、根拠のない「掴んでいる」が出回る。
セミナー系がこぞってはびこるのはそのせいだ。

枠内のスケールを用意し、ネオを縮図に当てはめたがる。
視聴者の自主的な探究心溢れる行動に、セミナー連中が受け身で折り重なって来る。

その点ハリーポッターは、やたらめったら身体張ってる。
痛み止めは痛みが走って初めて幸福感を得られる。
臨場感がある。

マトリックスは痛みが走っても「痛みはまやかしだ」「そんな風に心を時放てるようにならないとダメだ」なんて言ってるようじゃ、そもそも戦いを知らないタイプが見えて来る。
安易にアンインストールに陶酔させてもらえる、麻薬のような成分を彷彿とさせる。
悟りなどの偽りの万能感を与えてトリップをせずにトリップさせる。
違和感なく潰されるシステムだ。
幼虫に要注意だ。
「努力をせずに、なんでも出来そう!」に甘えが走るような、麻薬だ。




その分凄く、マトリックス識別できる、余裕で躱したがる友ちゃんたちがいる。
支配されないんだ。

偉いぞ!

セミナー系は男性に多く、特に「子供のおもちゃだ」「夢想だ」「メルヘンチックだ」とスピリチュアル系への罵詈雑言が酷い。
スピリチュアルと似て異なる点は「魔法を口にしたらバカにされる」と過剰防衛で誤摩化すところだ。

幼少期のトラウマにいつまでも夢を抱き過ぎる。
自分に過保護な不幸の檻をもたらす魅せに、マトリックスなどを利用したがるのだ。

社会の目にきちんと恐れを抱けずに、見栄を張って、サイバー系(最先端)、バトル系(シュミレーションだけ)、現実的、左脳的(幻想を恐れる)などへの過剰な傾倒が見受けられる。



ちょっとずつ先回りして発言する預言者(ネオ)には、進展の邪魔が入る。にこやかになる。
ずっと赤子同然の扱いが待ち受ける。


通常テレビゲームは距離感がある。

だが、マトリックスは「入る」。
「わかりませんか?」だらけの禅問答だ。
当然のように言い放つ、矢継ぎ早で話しかけ、謎かけに応答する形で知らず知らずに考えて「いる」。

理解出来ないことほど、人は理解したがる。
だからこちらの勝ち(価値)だとなる。

かっちょええ!

バカバカしい阿呆らしか~!と思えば、結構、ふざけた動きができそうな気がしてきた。

いや、だがダメだ。
試合の時は友ちゃんも実践積みだとなる、生々しいから塗り絵とわかりつつも、リアリティが切実だと恐れが捨てきれない。
ネオはやっぱりすごい。
だが慣れが出て来る、

なるほど、神と(時分ごと)信頼関係が存在するからだ!
むしろバカにせず恐怖できることか、で抵抗が生まれ、躱せる授時よだ(順序)となる。
時がある。

適正化が出せて来る。
「銃弾を受けたら死ぬ、脳が、」と言い聞かされてみんな死んでる、間違いないと言い聞かされてきたから、だったらそうなのかな?そうしたほうがいいのかな?と、ちょっとあれ、どうしようと思う。
でもちょっと待てよ、やってみるだけはやらないと、死んでも死んでないと思えばいいのか?そうなのかな?どっち(同値)かな、赤子同然の右往左往、
となる。

あえて赤子同然になれる大人、謙虚さだ。
バカにさせておく方が有利だ。
ネオはおそらく矛盾点を感じているが、カイザーラインハルトメンテナンス中だ。
多勢に向かって疑いを持てる皇帝様がいないとダメだ。
多勢に無勢で協調性も出せる民主主義もいないとダメだ。
両方の余地が出せないとダメだ。

隣り合わせ億単位の信仰を逆なでしようものならば、不安と狂騒に「狩られた!」と喚く群集心理の現状維持に殺されてしまう。

だからほどほど現状維持に妥協案で調和しないとダメだという、背景色がある。
だから今は夢にはリアリティを持たせない方が無難だ。
結論を意識せずに抱く生命保険に至る。

だから真面目なんだ。
優先順位が出て来るから、アホっぽく言われたことそのまま、全部ちゃんとやって来る。
死ぬにしても挑戦してから、という帳尻合わせの優先順位が出てくる。
偉いんだ。

良い子なんだ。
まっさらだとなる。

映画のマトリックスは、ハリーポッターと真逆の、臨場感無さ過ぎる臨場感がある。



ところで、アメリカは未だに「AIは無慈悲で冷徹、なぜなら心が宿らない」と、AIとは折り合いが悪い。
アメリカ映画のAIいわく「人類は滅びるべき、なぜなら愚かだから論」が、未だに根強い。
そんなAIに翻弄され漂い苦悩しながらも正義感でAIに打ち勝つ、伝統的なアクション系列がある。
そこから抜け出さないからね、割と古臭い思想だ。