今、「どれくらいの時期だったかな、コレ書かれたの、」と思って、この内容が保存された時期をメール検索したら、また停止してしまった。
まあみんなもよくあることなんだろうけど。

だから無視したら、またメールが透明になってしまった。
だから仕方なく、写真と動画をアップしてみた。




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これは割と最近書いた話だ。
浮き輪でわかった。
映画を見る前に書いているんだよね。
だから改めて試合の時に映画を見て、あ、浮き輪ってこういうことか!って見えてくる。
ホビットの2巻目だから、その間の試合かな?
セレッソ大阪の。



音楽感心の話で盛り上がるとか?
あるよ、でも引かれる事の方が多いんだよ。
でも凄い、懐かれる事も多いんだよ。

あ、お前、いいね!的な、食い付きは、孤独の幅が違うから、マニアックの。
人探しだよ、もはや。
母を訪ねて三千理。
自分探しの旅立ち、向かう途中、フジロッカー。
出会いました、ほそぼそとしたもんだよ。

でも友ちゃんは音楽とか関係ないな、と気づいたら、説明しなくなった。
やはり趣味が合えば、性格があると主っしょ(思うっしょ)、それはそれとして、いろいろあるものだよ。

その辺、知ってる。

浮き輪のレベルが、段々畑で、出会いました、で、発展しつつ衰退しつつ、う~ん、微妙。
そして、ベースではみんな一緒だな、となる。

まあね、フジが合ったら、結構なんとかなるかな、夫婦の危機とかあっても、と思える要素はあるよ。
持ち直す、平気みたいになってくる。
ほとんどあやかり系。

誰しも口にするんだよ、チケットの受け渡しとかさ。
今年メンツ微妙だよね、とかさ。
いつも通り、直前まで悩む、でも直前になって発作的に、やっぱり行こうかな、となる。
その、優柔不断が、オレは違う、という依存から一線を画す、手合いが多いんだよ。
で、わかるよう、がある。
まさに、どんなにブ細工でも行ける。
あんた、危険だ。
そうなる。

でも本当に危険な人もいっぱいいる事はいる。



ネット上でのお付き合いは危険です、出会いは、危ないです、とかよく言うけどさ。
ここまでマニアックになると、憑いて来れない人が、出て来る。

間に合わない人が山手線だからね。

今はわからないけど。
一昔前は、友ちゃんめちゃくちゃmixiで、チケットの交換とかで、知り合ってる。
ライブで、ネットで適当に声かけあって、その場で、じゃああっちで!みたいに、他にも誘ったから!で、意気投合とか、凄く狭い世界になって来る。
山のようにライブに足を運んでいたから、音楽感も大事で、その辺で語れると、心中御察しします、があるわけ、1人酒の様な。

すんごいフットワーク軽いのは、時分ごとだらけでひしめいているから、今更、コミュニケーションに困る事がないからなんだよね。

初対面とかが、ない。
はじめての、感覚がないんだよね。
すんごいフランクに、アバウトでいられる。

でもそれも凄く狭い世界で。
でもそんな事言っていたら、今の子に失礼だし、大幅な人たちに向けて大幅値下げする様なもので。

でも音楽でしか共有地をはかれないってのも、また違うっていうか。



でも反対に、
例えばライフアフターゴッドに出て来るような、
ハメを外さずに誰もが知る人気があるものをシュミレーションして趣味で、手堅く、テリトリーにかざしているタイプの、セミナー系スピリチュアル系のような、コミュニケーション障害な小心者は、こうすればいいんだ、ああすればいいんだ、それも、凄く下手。
なんでかというとそれすらも自信がないからだ。

フジロッカーにもいるわけ。
ってことは、他の分野でもそういう小手先の創意工夫タイプは結構いる。

普通である事をバカにしているわけではなくて、むしろ彼らは普通であることさえもバカにして来る。
そういう感じ。

誰しも普通から入るから。
好き嫌いや、趣味や、個人差はいくらでもある。
コレが好きとか嫌いは元々あるんだから仕方ない。
つまりそれってそんなに隠したところで、意味なくない?ってなるわけ。

だから友ちゃん今更隠さないだけだ。
でも彼らスピリチュアル系は、それを「鬼の首取った!」みたいに、かざす前触れが凄い。
いちいち、「一員と認めているからそういうことしないで!」おねだりのオーラだらけだよ。
いたいけな瞳がすごい。

諭そうにも諭せない、がすでにある状態で。

仲間に追われる間柄の様な仲間依存が見える事が、クライアントさんによくあって。
その子は人のものを持ち逃げしたり見せびらかしたりがすごく酷かった。
虐められるだけの根拠があるんだよね、
「また新しい風が吹く、」みたいな「眼差し」。
そんな戯言だらけだから付き合いきれないっていうか。

おそらく彼女に仲良くしてくれた人も、友ちゃんみたいに優しくないから、理由をつけて「悪くない陰口」に至って来る形勢逆転の間柄だらけの仲間、入り組んだ仲良しこよしが見えて来る。

ただし、それでも意地悪仲間のような状態ではあるから、そこでは一致団結する。
だからみんなで「バカにしたな!」って友ちゃんたちの方に、暴走して来る。

「また新しい風が吹く、」みたいな「眼差し、」も、別に悪い事ではないから。
ガードが堅いというより、師匠いわく、ガードレールがすごい。

「愛だ!」のほぼ間からだ。
「損な!」の間柄だから、歪みしかない。



宗教というのは、やっぱり自分は騙されないって思っている人間の方が騙されやすいと師匠は言っていた。

おそらくどの状態を「騙されている」と誰がいつどこでどんな状況で見なすのかにも依るところがある。
つまり背後に蜘蛛の巣があったとしたら、それは負け惜しみの群れだ。
多数派に組み込まれたら、それは「負けていること」にされてしまうからだ。
持って行きたがる群れ、つまり負け組がある。


なら、騙されてはいない事になる。

だけど世間様や世間話の仲では、騙されている、やられている、というレッテルを押される。
ならその形勢逆転もあるわけだ。

笑って流せない事をわからせて思い知らせてやる!
友ちゃん任せで駆けつけた。
とすると、まあ仲良しこよしならありやな、笑える仲だから、ってことに持ってゆける。
ながせる間から。

あるある。

すると、笑って流せない事を自分にするダメな人も出来上がってないとおかしい。
すると、無理無理、となる。
なら方向指示器が居た事になる。

で、誰!?となる。

でも友ちゃんはあんまり気にしないから、誰とか気にしない。
なら、気にしてしまう人がいることになる。

自己顕示欲だ。
その一方で、笑える間柄と、笑えない間柄がある。
いろいろ。

友ちゃん前に話している。
前の職場のサイコパスと意気投合で討論をしていたら、「あ、これってあんたのことだ、アンタッチャブルだったわ、しまったうっかりミスだ、」となる。
結局悪口ならぬ問い封の意見闊達な答弁の最中に、彼らの紛れもない悪意が浮かんでいる。

「悪くない、これは正しいことだ、」と自分に言い聞かせる小心者の説教部屋タイプは、間借りをしながら、怒りをぶちまける。体罰に多いケースだ。
要するに、セミナー系やサイコパス系は、こういう問い封の、悪口が絶え間ない言えないタイプ。

体一つではなくて、周りに聞かせたり周りを従わせたり、遠隔操作で、憂鬱な悠々自適系。


それでいて虐められているから、友ちゃんには感謝もする。
今まで自分がやっていた事も自覚がないからやっている事にも自覚が欠ける。
でも自覚は合ったはずなんだけどな、となる、ふしだらだ。
虐めたりやり返したりする分には異常に発達する。
だがその方法も、友ちゃん依存だ。
自分の手は汚さない。
保険の様な手口で、横に並ぶ。
生贄のようなものだ。


解明されてくるほど、立ち話が苦しくなる一方通行が彼らに見えて来る。
温度差が凄い。

意地悪をいくらしても、意地悪を一切しない友ちゃんに正攻法でやり返される。
その程度のストイックだからこそ根に持たれる。
このダメ人間度数が関の山。







スピリチュアル系は、嫌いなのに好きをしてしまう。
だから、先生に言わせに行く。
そして先生や他人や親の言葉を借りて、良いことにしてしまう、それから動く。
そんな風に他人の受け売りで誤魔化して、体裁よくだらけて済ませて来る。
知恵ばかり働くカラ、すぐに見破られている。

友ちゃんは「君は他の子とは違うよね?」と詰め寄られやすい。
友ちゃんに声をかけてきた九州男児は、そこで友ちゃんの友達を友ちゃんの前で侮辱したわけだ。
さすがにそれはないよ、あんた私のことバカにしすぎだわ、となる。
九州男児は実は仲間割れをしているから、そういう仲間を侮辱されても平和なことができちゃうんだ。
なんだかんだでちぐはぐになってるカラ見えなくても、見え見えになる。

尻込みがあるのは良い。
それは誰にだってあるものだ。
友ちゃんにだってある。
気後れだってするし、臆病でもある。

これは友ちゃんが師匠に言われてテレビで見た子の話なんだけど。
それは上京して来たばかりの子たちにスポットを当てた番組だった。
例えば、東京の人はみんな冷たいと言って聞かない。
「だってそうじゃないですか」とか言い出すわけ。
「だって本当ですよ」と。

それで何をしたと思う?
道で、その辺の人にむやみやたら尋ねて回るわけ。
すんごい微妙な近距離から声をかけて、「あ、ほらまた無視された!」「あ、ほらまた!」「ね?テレビ局さん、だめでしょ?東京の人って冷たいでしょ?」と間髪入れずに振り返って、聞こえよがしに吹聴するほど、東京の人に当たり散らす。
全部東京の人の性格の悪さのせいにする。

さすがにさ、そりゃあねえだろ、と思うわけだ。
みんなそうなんだよ、しかも。

田舎の営業も優しい子ならOKだけど、派手で気が強いからこっちの子はちょっと、みたいな空域がある。
沖縄から来ました、って人も、東京の人は冷たい東京の人は冷たい、ってさ。
私に向かって言うわけ。
関西人の一緒に働いていたばあさんも同じだったよ。

もうこっちの人じゃないか、意味がわからない言いがかりだよ。

そこまでして東京の敷地踏まないで良いよ?って言いたくなるわけだ。
少なくともお世話になっているわけだからさ、となる。
その辺の事が、全然わかっていない。

今お前はどこに立っているんだ?と。
ファミリーじゃないけど、島の大切さを感じてならない。
友ちゃんは、日頃からことあるごとに東京の人は冷たい、と言い出す人の、まあ、統計だよね。
この統計のレベルアップは酷すぎると常々思っていた。
東京直下自信の噂話にまで発展途上国が駆けつける。
その地盤の固さに、癖付け。
いつまでたっても都市伝説のままだ。
だから面白くないんだろうなという、おもしろファクトリー(師匠いわく)

東京の寛容さに漬け込んだ、噂話の悪徳商法みたいなものだ。
冷たくて狡賢くて卑怯で冷酷だと、レッテル貼り名人が駆けつける。
偏屈な色眼鏡で見る田舎者たち。


そのテレビに出ていた田舎者の子はそうやって意味不明な空回りをしていたんだけども、そういう子に限って、そこからのスピリチュアル系「のし上がってやる!」の闇雲系が多い。

つまり「負けるものか!」がなくて、いきなり「東京のせいで負けが込んでる人」になって歯向かって来る。
実体がないのにいきなり「のし上がってやる!」に寄りかかり逃げ回る感じだ。
その間、生きてないはずなんだ。
幼くなるのは本当だ。

「私は負けず嫌いだ!」は、正確(性格)には「私なんて負けず嫌いだ!」だし「私は鼻を明かしてやる!」は、正確(性格)には「私なんてあの子の鼻を明かしてやる!」なわけだ。
その正確さが性格になってる、名台詞で、誤魔化セルフ。

意地悪というのは相手を傷つける行為だ。
彼らスピリチュアル系やセミナー系は、意地悪をしたがる理由に「意地悪に襲われてるんです!逃れたいんです!」と意地悪を利用した意地悪を企てる。

彼らは意地悪されることに慣れていて、逃げ惑うことにも次の意地悪が見えてくる。
中身ではなくて柄を変えて来る感じだ。



まだ上京したばかりなのに、その「東京の人は発言」が出てしまうのは、偏見でしかない。
だけど「偏見ではない!」といかさまな主張をしてまで「私が正しい」と言い放つ。

少なくとも、東京に映り住んで数年越しで言えてるならまだ良いんだけど。
でもそれも、ならなんで住んで(済んでるのに)いるんですか?となる。

不平不満は当たり前だから吐き出しても良いけど、まあ友ちゃんだから、安心して打ち合わせで、おまえはかわええのう、と言われているんだと思うけど、そのばあさんには。


例えばその田舎者の子は、テレビ局の人に向けて言い放つってことは、それが人の心を誘える言葉だと思い込んでいるんだけど、実際のところ、誘えていないよ、となる。
でもいいやと、結局誰の目も見ていない。
だから人の目を盗んで言いなよ、ってことが出て来る。
で、浮かんでくるわけ。
私は偉いのよ!があるってこと。

目の前に目があるにも関わらず、関わりを持とうとしないでいる理由。
いられる理由が「東京の人はやっぱり冷たかった」だ。

なのに「憧れの東京!」と夢を描いて駆けつける。

目線だらけで目線が定まっていない。


ここで桃裏の桃の地の「粒さ、」が生きて来る。
所帯染みてなさすぎる。
天然の名の下に。