iPadはとても残念なプロダクトではなく贅沢品 | スマホアプリ開発記

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iPadはとても残念なプロダクト という記事が話題になっていて、私も思うところがあるので(釣られて?)記事を書いてみます。

まず、この記事で指摘されている内容は、正に「一般の方」からよく言われることです。

ここで言う一般の方というのは、PCに慣れ親しんで来たり、Apple製品のファンではなかったり、もしくはそもそもITに詳しくない方々。

iPadは、これまでPCに馴染みのない人でも簡単に扱える魔法のデバイスであると喧伝されてきました。

iPadが発売される前、私の父親(新しい機械は好き)がiPhoneは興味はあるけど、文字が小さくて読めないと言っているのを聞き、iPadなら喜ぶのではないかと思っていました。

しかし、実機を購入し、触るにつれ、その思いは崩れました。

というのも、iPadは初心者には難しい。

操作は簡単かもしれないが、iPadを「楽しめる」までに至る過程が難しすぎる。

そのため、プレゼントでiPadを親に送りつけるだけではダメで、設定からアカウントの登録からアプリのインストールまで含めて全部お膳立てをしてあげないといけない。

それでも、入れてあげたアプリを使うだけですぐに飽きられてしまうでしょう。

絵本アプリが画面上で動き、タッチに反応するのを見て「あらーすごいわねー」で終わってしまう。

使い続けてもらうには、iPadの素晴らしさは何かをとくとくと理解させなければいけない。

そういう意味では、子供からお年寄りまで扱うことができる製品ではありません。

■ iPadは贅沢品である

iPadはノートPCを置き換えるか?とか、ネットブック市場を駆逐するか?などの議論を最近よく見かけます。

パソコンは必需品です。ネットブックですら、もし他にパソコンを持っていないとすれば必需品に入るでしょう。

これに対して、iPadは贅沢品であると思っています。

贅沢品ってのは、暴論を言えば生活においては無駄なものなんだけど大枚をはたいて買うものです。

機能的な面で言えば、iPadでないとできないことというものはありません。

むしろPCではできることがiPadではできないことの方が多いので、PCの代替になるか?という議論すら意味がない。

それでもiPadがここまで人気を博しているのは、その「体験」がこれまでになかったものだからです。

言うなら、美麗なグラフィックのゲームを楽しむためにPS3を買ったり、迫力のある映画を観たいから映画館に行くのと同じ。

卓上に置いたiPad、鞄に入れたiPadをすっと手に取り、スイッチ一つですぐに画面を立ち上げ、簡単な操作で目的にたどりつける。

これがやりたくて、何万円ものお金を払っているのです。