昨日とは一転、寒い朝です。
繁忙だけど何とかやりくりしてます。
火曜日の朝一で親父がいる病院から連絡ありました。
月曜日の夜から数値が下がり肝不全になり傾眠状態だから面会許可を出すから来てくれと連絡がありました。
仕事を抜けて夕方会いに行ってきました。
俺とわかって「ありがとね〜」と。
姉には連絡を。札幌は大吹雪で土曜日に来られるかどうか。
面会も特別許可入りで一日一回、30分3名までで。
気丈に、気丈に心掛けてね。
男親子だから仕事やりながら民間営業業務の強さ、姿を見せつけるのが警察官だった親父へ反抗し続けた俺からの親父への敬意、感謝の形かな、そんなことも思います。
親父は二十歳そこそこで佐賀の炭鉱の街を出された家族を一手に引き受けて警視庁に入って生計を立てて生きて今日まで来ました。
凄いことで尊敬します。
でもそのことをひた隠します。
本当は自分の人生、こうではなかった。
全て兄貴の尻拭い。犠牲者な自分。そう思い続けてます。
私が大人になり親父の生き様はカッコ良いからもっと素直に話して 俺がやってきた、と自信持って自慢して欲しく思いました。
しかしそれとは裏腹に警視庁と言うブランドを盾にして前を歩く親父は嫌いでした。
そこには嘘があったからです。
過去を隠して嘘をつく。
大嫌いでしたね。
それで反抗しました。
警視庁にはお世話になりませんでしたが埼玉県警にはお世話になりました。
謝り引き取りに来るのはお袋でした。
私も歳を取り家庭を持って子供が出来て今日にいます。
子供には「俺はこうだった」とは自分からは言いません。大したことはしてないので。
ただ子供から問われたら答えます。色んな経験してるもんですから。
自分の友人知人がウチに来た時などに昔の自分の様子を話してくれます。そこで私が昔やってきたことなど耳にします。
そのくらいでちょうど良いと思います。
私はとてもとても良い人ではないのでね。
自ら語れるほどでもない人ですから。
ただしてきた事は全く否定しません。
それが自分です。
そうあるべき、父親ならそうあるべき。
そう強く思いがありました。
親父が病になり通院が多くなり入退院も繰り返し多くなってきました。
その度に自分の思いにそぐわなかったら怒鳴り怒り散らす親父の姿にある度に泣けてきました。
もうしょうがない、これが親父なんだ。
無我夢中で家族のためにやった人です。
今も1人生活でしっかりやっている、それで良いじゃん、と。
お袋が亡くなり13年、よくやったんじゃない、1人で。
そうだな。彼の人生に触れても苦しさは本人にしかわかりません。
そんなことを思いながら入院前にものすごく浮腫んでた右手を見ると相当引きました。
また来るからな、そう言って部屋を出ました。
自分は警察官の親父が嫌いでした。
警察官じゃなければもっと笑ってバカ言える親父だったと確信します。
だって俺がそうですから。
もうバカ言って飲もうな。