昨日発表がありました。

先に高校インターハイ中止、中学の学総大会の中止がありました。

 

高校野球全国大会(甲子園)中止になりました。

 

現在の学生、キラキラした希望を持ち入学した子供達も未だ学校には触れられてはいません。

そして最終学年の中学3年生、高校3年生は公式戦、特に最後の集大成の舞台がなくなりました。

 

どんな言葉を掛けてあげられるか。

とても想い込んでしまい深く深く潜って探している感じになります。

 

 

仕事から家に帰り誰もまだ帰っていなかったのでしばらく息子の部屋を眺めていました。

彼の野球が詰まっている、野球しか詰まっていない部屋です。

決して上手くもなく人からは特に目を付けられるような奴ではありません。

(どちらかと言ううと馬鹿にされるようなこともありました)

 

お袋が亡くなってから、ばぁちゃんっこだった息子は平日校庭で練習をしていた少年野球チームに自分から「やらせてください」と言って入りました。これが野球と出会い野球人生のスタートです。

 

小、中の学校で軟式野球をやり少年野球では素敵な野球人達、コーチと出会え、中学では素敵な顧問と出会えて。

そして高校へ進学すると「野球しかないっしょ」と初めての硬式へ。

高校に入るとシニアリーグやボーイズリーグなどで早くも硬式野球を経験した子供達も数多くいます。

息子は人一倍要領が悪く不器用。リズム感も良くは無く彼が中学までなら私の方が運動神経はまだまだ勝っていたでしょう。

 

そんな彼はもう自分の事はわかっていたのでしょうね。人より劣っていることを。

高校野球部に入るときは不安だったけどそんな弱音吐いたら自分に返ってきそうだから突っ張ってた、と話してくれたことを思い出しました。

時間が掛かる息子ですが私に似ず真面目で真っ直ぐです。

私の前で言い訳や弱音を吐いたのはないかと思いますね。

 

彼が少年野球時代は私も同じユニホームを着たコーチをさせてもらいました。

彼には不条理にあたり小学生時代が一番厳しかったときでした。

自分勝手な行動をとれば鉄拳でしたし距離が近すぎましたね。彼も嫌だったでしょう。

しかし野球だけは好きでしたので一度も嫌々行く素振りは見せなかったです。

「親には野球で話してやる」そんな思いがあったのでしょうか。

それよりなにより彼を暖かく見続けてくれた大人達がいてくれたからでしょう。

 

彼が野球をし追い続けていることがあるとしたらこのことも含まれていると思います。

少年野球の数々ある市内チームの中で選抜20名で市内代表チームを結成し最強のトーナメントに出場する年一度開催される大会がありました。

ウチには無縁の話と思っていましたがセレクションで受かってしまいました。(今思えば最上級で最高の場所でさせて頂いたことに感謝です)

県内の市町村代表チームと戦い戦いながら子供達が成長していく姿が目に焼き付いてます。

皆が緊張感を持ちあの小さな小学生が一試合ごとに自立していくんです。

そんなチームですから試合ごとに強くなり結果埼玉代表で関東大会に出場しました。

また凄い世界に連れて行ってくれました。

二回戦で栃木と1点差で敗退。

最後の試合の最後のバッターは息子でした。

最終回、2アウト。2塁打で出たバッターランナーを足の速い選手に変えて一打同点の場面で代打です。

息子がバッターボックスに向かいました。

結果は内野ゴロ、必死に走り見たこともなかった一塁へヘッドスライディングでした。

自分で何とかしにいく姿を見たのは初めてでした。

この場面で止まってます。

 

こんなこともあり中学部活の思い出も全部詰め込んで高校野球へいきました。

彼の中で心の中で止まっている思い出。それを糧にしたと思います。

 

高校野球

大きな夢であり憧れであり最後の大会、甲子園に向かっての挑戦の舞台はなくなりました。

 

最終学年、公式戦用のユニホームは一度も着ることはないです。

 

しょうがないがしょうがないで済ませないように。

悔しいけど悔いが残らないように。

 

学校もまだ始まっていません。

 

この子供達にエールを送り続けることです。

言葉ではなく大人の態度と言いましょうか、背中でしょうか。

寡黙に頑張る大人の姿が子供達へいつかは届くと思ってます。

 

そんな私のheartが熱く強い大事な仲間から早速エールを頂きました。

感謝してます。