藤尾純さん、 昭和62年に旅立たれたので、もう34年も昔になってしまった


とてもそんな風には感じない、私にとってその名前を
思い浮かべるだけで今だに頬が緩む名前だ、

昭和42〜3年頃の思い出ですが、当時 私は芦屋凡凡という芸名で芦屋雁之助師匠の元で若手俳優というより喜劇人として舞台やテレビに出ていました、

藤尾純さんと親しくなれたきっかけは、雁之助師匠は
非常に厳しい方で怒ると相手が逃げ場が無くなる所まで追い込むやり方で、私は反論など出来ないし、毎回
本当に辛かった思い出が残っています、

中座舞台袖でしたか、師匠の機嫌が悪く、私に辛く追い込んで来た時、藤尾純さんが横から、「雁ちゃん!! もうええ加減にしてやれや❗️」の一言を、

雁之助師匠は私の弟子に叱ってるのです! と、
すると藤尾さんは、私にはそう見えない! アンタが弱いものイジメをしてるようにしか見えない、と言って下さり私は泣きました、

理由は些細なことをくどくどネチネチが多い師匠で
取り巻きはそれば一番いやでしたので、私にとっては天の助けの一言でした、
ミヤコ蝶々先生も同じ事で雁之助師匠から私を救って下さった方でした、

本当の雁之助師匠は悪気なく、叱りながら教えて下さってるのですが、なにせ、立場が違いすぎて反論など出来ません、
芦屋雁平さんも全く同じ目に遭われてましたので、
私とは終生仲良かったです、

藤尾純さんとはその後亡くなるまで仕事以外でも、京都の自宅に泊めて頂いたり長い間、可愛がって貰いました、

東京に本妻、南部幸枝さん 娘さん中原早苗さんを
残したまま、😄京都東山安井のマンションにウバ、と称する女性と住んでられてました、

藤尾純さん曰く、二号でもオンナでもない、ワシの面倒観てくれている、ウバ(笑)や❗️と言われてた藤尾晃子さん そして、愛犬ぺぺちゃんの中に私も加えて頂き、
長い間可愛がって頂きました。

楽しかった藤尾のお父さんとは良く弁当作って円山公園に行きました際の写真とマンションでの写真もご覧頂いて在りし日の藤尾純さんを偲びます。

尚、藤尾純さんの葬儀委員長は映画監督で有り娘さん中原早苗さんのご主人、深作欣二さん
お墓は建仁寺内、大統院に有ります。

お父さん、長い間 ありがとう ❣️❣️