リプログした記事を更にリプログするって

なんか ブログのマトリョーシカ、

入れ子構造にするみたいで

おもしれぇ。

 

読解力のある読者ならついつい入り込んでいく

スタイルになるやんか、

 

これからワタクシの

ブログではガンガン使っていく。

 

1970年大阪万博のパビリオンにミロは

かなりの大作陶板画を制作している、

テーマは" 無垢の笑い"

 

今はこの大陶板画は

大阪中之島の国立近代美術館

エスカレーター脇にまるで

そこに展示するために作られたように存在している。

ナンの累歴も知らないまま、

ワタクシ、コロナ前に写真とっている。

なんか引っかかるモノがあったからだと思う。

 

 

この陶板画をミロに依頼したのは

福田恒存と言う評論家だ。

彼は英文学者としてシェイクスピアを訳していて、

大阪万博で大阪万博の理念を考えたブレイン集団の

ウチの一人だ。

 

私はカネがないけど時間だけがある学生時代に

図書館で出たばかりの小田島雄志訳のシェイクスピア

全集と福田訳とを引き比べつつ読んだ事があるが、

平易で親しみやすくやや下世話な小田島訳より、

三島由紀夫の小説を思わせる典雅な福田訳の

方がカッコイイと思った。

 

福田氏はミロに、

絵についてこう注文をつけたらしい。 

 

" テーマは" 笑い"、でお願いしたい、

ただし、爆笑でも嘲笑でもない、

生まれたばかりの赤子に自然に現れ、

そして蜻蛉のように消えていく、

そんな"笑い”を、"

 

ミロはそれを快諾したと言う。

何故、こんな話をするかって?

 

こんな笑顔を直に見てしまったからさ。

 

 

孫贔屓なんだろうか。でも

他家の赤ん坊であろうと、この笑いは尊い。

抱くと柔らかくて暖かい。

生きモンの湿気が背中から漏れて出る。

 

コレは絶対善だ

理屈ではなく、善なるモノを感じる

コレをこわしたり消滅させるものとは

私たちは対峙しなければならない。

 

そしてコレを生み出す母と言うモノ、

たとえ、シワだらけになろうと

愚かな老害に成り果てようと、

この一時点は瞬間的に絶対的に尊い。

 

どんな美人であろうと、なんであろうとも

この一点で負けるんや。

 

ただ、ヒトが子供を産まない個体であろうと、

閉経年齢超えても生きる意味は

文化、生き様の受け渡しがあるからだろう

誰かの為に自分の人生のカケラを

渡してあげれば、それでいいんや。

 

 

 

 

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