教える側からして国語の授業のおもしろいトコってどこだろう?って考えてみた。必要性みたいなのは分かる。挙げるとキリがないくらいポンポン出て来る。じゃぁ、何がおもしろいの?
教育実習で授業をこなしているうちに、そのときは気付かずやり過ごしていたけど、今となっては「あれ」がおもしろくて、楽しみで授業をやっていたんだなって思う。
「生徒の答え」
小学校のテストから大学入試まで、1つの問題に答えは必ず1つしかない。国語、数学、理科、社会……どんな問題においても答えは1つ。でも生徒は間違える。
どんな問題がテストに出ても答えは1つ。それを書かないと○がもらえない。授業でも同じこと。でも授業だからこそ、そして中学生だからこそいろんな答えが出て来る。高校生とかになっちゃうとちょっとマセてきて授業中は先生から指名されない限り自分から挙手して発表っていうのはなかなかない。あと「間違えたら恥ずかしい」って思いもあるだろう。
オレは間違えた答えが大好物である。中学生の中にもあんまり手を上げない子もいたりするけど、大概わんさか手を上げまくってくれる。教える側のオレも「こんな問題出したらこんな解答が返って来るだろうな」って正解も含め2、3は予想している。しかし、オレの予想もしなかった答えが出たりする。“正解”とはほど遠い解答。オレも予想しなかった答え。これが出ると「うわ!こいつ何考えてるんだ?どうしたらこんな答えが出てくるんだ?」って尊敬の目で見てしまう。
普通に授業を受けて、流れとか雰囲気とかで国語なんかは分かってしまう答えがあったりする。教科書の内容と“空気”を読んで「これが正解でしょ」みたいな。
しかし、こちらも予測できない答えが出たりしたとき、オレは興奮してしまう。その発想力、ひらめきに。オレをおちょくってるような解答ではなく「こういう考え方もありやん!」みたいな、根拠のない自信に満ちた解答は本当におもしろい。
つまらない大人になってしまった自分には想像できなかった、未成年たちの無限の力に驚かされる。
もう1つ、教育実習中に気付かされたこと。
「ボケ」じゃなくて「ツッコミ」の力を磨くこと。
話の続きで、授業中に生徒たちは1つの答えにいくつもの解答を言って来る。オレのポリシーとして「オレの発言に生徒が応えてくれているのだから、その生徒の発言にさらにオレが応えてやろう」と心に決めていた。正解だったら褒めまくるし、間違った答えを言ったとしても受け流すことは一切しなかった。何かしら対応した。
オレの授業は基本、黒板とチョークだけで進める。個人的に国語の授業において画用紙とかに文字とかを書いておいて、それを黒板に貼ったりして授業を進めるやり方が嫌いだから。大学の模擬授業で必死に画用紙使ってた人が何人かいたけど、生徒を枠にはめ込むなんて絶対したくないってそのとき思って、このやり方でやろうと決めた。
生徒たちは何を言って来るか分からない。まして言葉を扱う授業「国語」だから、例え正解の答えを言ったとしてもこちらが望んだ通りに言葉を並べて言ってくれるかどうかなんて予測不能である。でもあらかじめ画用紙とかを用意せず、チョークで臨機応変に対応したら、生徒がどんな答えを言っても拾ってあげることができる。
漫才に例えると生徒がどんな「ボケ(解答)」をしても教師側は絶対に「ツッコミ(対応・拾う)」をしなければいけない。そのためにボキャブラリーを増やしたり、単調にならないように気をつけなければならない。漫才ではないが、この2つが噛み合ったとき、教師と生徒の間に「笑い」が起こると思う。「おもしろい」とか「楽しい」とか。
生徒がどんな「ボケ」を言ってくるのか本当に楽しみ。何なんだろうこの感覚。
子どもってすげぇ。
安易な考えだろうか?所詮まだ本当の教師として授業をしたことのないオレの考え。これが全てだとはもちろん言わないけど。
先日「教育実習日誌」が返却されて、改めて見直して思ったことを書いてみました。
ま、これからどんどん考え方も変わるんだろうけどね。今の「考え」「思い」を忘れないでおこうとブログに書きました。
教育実習で授業をこなしているうちに、そのときは気付かずやり過ごしていたけど、今となっては「あれ」がおもしろくて、楽しみで授業をやっていたんだなって思う。
「生徒の答え」
小学校のテストから大学入試まで、1つの問題に答えは必ず1つしかない。国語、数学、理科、社会……どんな問題においても答えは1つ。でも生徒は間違える。
どんな問題がテストに出ても答えは1つ。それを書かないと○がもらえない。授業でも同じこと。でも授業だからこそ、そして中学生だからこそいろんな答えが出て来る。高校生とかになっちゃうとちょっとマセてきて授業中は先生から指名されない限り自分から挙手して発表っていうのはなかなかない。あと「間違えたら恥ずかしい」って思いもあるだろう。
オレは間違えた答えが大好物である。中学生の中にもあんまり手を上げない子もいたりするけど、大概わんさか手を上げまくってくれる。教える側のオレも「こんな問題出したらこんな解答が返って来るだろうな」って正解も含め2、3は予想している。しかし、オレの予想もしなかった答えが出たりする。“正解”とはほど遠い解答。オレも予想しなかった答え。これが出ると「うわ!こいつ何考えてるんだ?どうしたらこんな答えが出てくるんだ?」って尊敬の目で見てしまう。
普通に授業を受けて、流れとか雰囲気とかで国語なんかは分かってしまう答えがあったりする。教科書の内容と“空気”を読んで「これが正解でしょ」みたいな。
しかし、こちらも予測できない答えが出たりしたとき、オレは興奮してしまう。その発想力、ひらめきに。オレをおちょくってるような解答ではなく「こういう考え方もありやん!」みたいな、根拠のない自信に満ちた解答は本当におもしろい。
つまらない大人になってしまった自分には想像できなかった、未成年たちの無限の力に驚かされる。
もう1つ、教育実習中に気付かされたこと。
「ボケ」じゃなくて「ツッコミ」の力を磨くこと。
話の続きで、授業中に生徒たちは1つの答えにいくつもの解答を言って来る。オレのポリシーとして「オレの発言に生徒が応えてくれているのだから、その生徒の発言にさらにオレが応えてやろう」と心に決めていた。正解だったら褒めまくるし、間違った答えを言ったとしても受け流すことは一切しなかった。何かしら対応した。
オレの授業は基本、黒板とチョークだけで進める。個人的に国語の授業において画用紙とかに文字とかを書いておいて、それを黒板に貼ったりして授業を進めるやり方が嫌いだから。大学の模擬授業で必死に画用紙使ってた人が何人かいたけど、生徒を枠にはめ込むなんて絶対したくないってそのとき思って、このやり方でやろうと決めた。
生徒たちは何を言って来るか分からない。まして言葉を扱う授業「国語」だから、例え正解の答えを言ったとしてもこちらが望んだ通りに言葉を並べて言ってくれるかどうかなんて予測不能である。でもあらかじめ画用紙とかを用意せず、チョークで臨機応変に対応したら、生徒がどんな答えを言っても拾ってあげることができる。
漫才に例えると生徒がどんな「ボケ(解答)」をしても教師側は絶対に「ツッコミ(対応・拾う)」をしなければいけない。そのためにボキャブラリーを増やしたり、単調にならないように気をつけなければならない。漫才ではないが、この2つが噛み合ったとき、教師と生徒の間に「笑い」が起こると思う。「おもしろい」とか「楽しい」とか。
生徒がどんな「ボケ」を言ってくるのか本当に楽しみ。何なんだろうこの感覚。
子どもってすげぇ。
安易な考えだろうか?所詮まだ本当の教師として授業をしたことのないオレの考え。これが全てだとはもちろん言わないけど。
先日「教育実習日誌」が返却されて、改めて見直して思ったことを書いてみました。
ま、これからどんどん考え方も変わるんだろうけどね。今の「考え」「思い」を忘れないでおこうとブログに書きました。