認知症状が顕著になっていった父と 
向き合っていた頃

わかりあえない悔しさや悲しさが
溢れてきて何度も泣いた


通い介護で
様々な制約を抱えながら
長い年月、何度も何度も往復しながら。




いつからだろう…。
父が問題と思う行動をしても
その問題行動を責めずに

「大変だったね」
「それは困ってたよね…」
「本当によく一人で頑張ったね」
一言目に
そんな言葉がいえるようになったのは。


歩行器や杖を使わずに
買い物に行って転倒したり

この時間は家に居てねと約束しても
ヘルパーさんが来る時間に
留守にしたり

大切なものを隠して分からなくなり
誰かが取ったと怒っていたり

私が犯人で警察に通報すると
言われたこともあったっけ…



初めは正解を押しつけあうように
口論が絶えなかった。





晩年はひどい便秘が続き
お薬で排便を促すことが増え
軟便になることも多く
トイレに間に合わず


便が何ヵ所もついたまま
洗濯機に入っているズボンやズボン下


汚れた便器や床を掃除しながら
一人で大変だった父の姿を何度も感じた。



職場のデイサービスで

1年以上お風呂に入らなくて
ご家族が困っている方がいて
デイに通われても拒否が続いていた。

コミュニケーションを取りながら
脱衣場での足浴だけから始めた。

服は着たままで
徐々に浴室に移行したりしてみたけど


身体を洗うところまではなかなか
繋げることができないでいた。





毎月通うこころのオアシスで
静かに黙って新しい職場での
悪戦苦闘していることを聴いていただく



騙したりして入って頂くのではなく
本人が入る気持ちになってもらいたい

仕方なく我慢してじゃなくて
お風呂に入って
「ああ~気持ちいい~!」
身体全部で体験して欲しい。



利用者様の
そんな話を語りながら
頭の中では
父と向き合っていた日々を思い出していく。


あの時何を大切にしていたのか。
そして、私は何を大切にしてもらった時に
心が動き出したのか。




事前の情報から
大腿部頸部骨折後から
転倒への恐怖心があるための拒否


限られた時間の中で入浴させることに
意識が向いてばかりで
知っている頭の中の情報に支配されて

ご本人の立場に立って
話を聴いたことがなかった。


事前情報ではなく
私がいつも聴いて頂いて
受け止めて頂いているように

私もこの方の本当の声を聴いてみよう。


「聴く」が創り出す世界の中で
そう思わせてくれました。





次にお会いした時
どうしてお風呂に入りたくないのですか?
とお聴きする

「あなたね!私は転んで入院したのよ!もし滑ったらどうするの!危ないでしょ!大変なのよ!」
そう強い口調で話される。

入浴させたい私ではなく
ただお話を聴かせて頂く私になって。
私がずっとして頂いてきたように。


自分の価値観や正解を押しつけない。
受け止め共感する事を日常の会話で
どれだけ意識しないと出来ないのか
未熟な私は痛感します。



それでも
その方の気持ちに重ねるように
お聴きしていると

明らかに今まで見たことがない
表情が見えてくる




恐怖心が無くなれば
お風呂に本当は入りたいことを
語ってくれて

お風呂用車椅子チェアーがあることを
説明しとても興味を持たれた。

実際にチェアーを見ていただき

「へぇ~こんな物があるんだ。いいものがあるのね。知らなかったわ。 
でも今日は入りません。今度来たときにその気になっていたらね。でも入らないかもしれませんからね。」

お風呂場を去りながら
ご自身の気持ちを伝えてくれました。


次の御利用日
私はお休みで立ち会えなかったけれど
その方はチェアーは使わず

他スタッフの声かけに
御自分で決めて入浴されました。

一年ぶりに身体を洗いシャンプーをされ表情も豊かになり、その後美容院にも行かれ不穏行動も一時的に少なくなりました。

お風呂に入った後は
「疲れた」ともおっしゃっていますので
最近はまた足浴の日が続いています。


それでも恐怖心が一度手放せたその方は
とても優しい柔らかいお顔になりました。
別人のようにとっても可愛らしいです。






自分の中に繋がって
日常で流れ過ぎていく感情に
自分自身で寄り添う

この世界を大切に思う人達に
温かく見守られながら

本当の自分の心が
動き出すのを見つけられる大切な場🍀




「聴く」が創り出す世界は
こんな風に私の人生を
豊かに希望を与え続けてくれています🌟

ありがとうございます🙏