2022年
父が92歳の年
圧迫骨折のリハビリ入院を経て、退院するタイミングで小規模多機能居宅介護でお世話になるように。それは朝昼晩の訪問による見守りが必要な状況になっていたからです。
11月のある日の18時頃
夕方訪問したヘルパーさんから
「お父様転んだそうで玄関ドアにぶつかったみたいで壊れました!」
電話を受けたこちらは父の怪我や痛みが気になるけれど相手も興奮気味で玄関ドアの不具合を必死に説明してくる。
少しゆっくりペースで質問をして落ち着いてもらって段々と様子が分かっていきました。
ヘルパーさんなら開け閉めはできるが
父の力では固くて
開けたり閉めたりは難しいこと
翌日はデイに行く日であること
父に怪我や痛みはないこと
その日、片道1時間半以上かかる実家に行って帰ってきたばかり…
もう暗くなっていて今から再び行ったとしても明日しか対応できない、父も家から出ることもないだろうからと
父に明日行くことを伝えくださいとお願いをして話を終えた。
でも本当の思いがけない知らせは
翌朝7時近くの電話だった。
それは実家お隣の80歳の方から。
以前は喫茶をしていて母と仲が良かったので気になる事があると時折様子を知らせてくれていた存在。
「あんたのお父さん、車庫で一晩過ごしたらしくてブルブル震っとるよ!今温かい飲み物飲ませとるで、来れる?来てやって!」
頭が真っ白になりながら
やり取りを続けます。
「震っとるけど大丈夫そうだよ!玄関は壊れてるからもう古いし取り替えた方がいい。新しくしたら鍵をひとつ私に預けて。とりあえずさっき確認したら開けられたから入って寝かしとくよ。暖めて寝れば大丈夫だから。」
心配と驚きと昨夜の電話で行かなかった事への悔いが交錯し
これから朝のラッシュ時間を運転する気持ちを落ち着かせるような『大丈夫だから』という言葉掛けがとても有り難かった…。
「犬がやたらと吠えるから玄関開けたらお父さんがいて、どうした?って聞いたら『家にはいれん』ってバツが悪そうに立っとるもんでまぁ~びっくりしたわ」
どうして…入れなくなった時にすぐ隣に行かなかったのか
運転してても
頭の中で責めぎあいが続く
自責の念に支配されそうになったり、父の行動を責める気持ちが沸き起こったり
例年より比較的暖かかった気温に小さな希望を持ちながら心はなんとかバランスを保ち車を走らせました。
到着し実家に慌てて入ると
いつものように布団乾燥機で暖をとり布団に潜っている。手足は温もりを取り戻していて様子を見ながら朝食を食べてもらい、寝るだけ寝てもらった。
このまま回復し
風邪を引いたり熱が出ませんように
その日は祈る気持ちで夜まで過ごした。
父の様子を見守りながら玄関ドアを確認すると、前日には大丈夫だったはずのドアの締まりは確かに固くおかしい。
上部から順番にドアの四方を確認していくとなぜか木の細かいカスが敷き詰められていてそれを箒で履いて取り除くと小さなネジがでてきた。
結局壊れているのではなく
物が挟まっていたのが原因なだけで修理する必要もなく通常の動きに戻りドアの件は一安心。
落ちていたネジの本来の場所も分からずだったので45年も前に建てたハウスメーカーに電話をし点検だけはしてもらうことに。
父が落ち着いてからよくよく話を聴くと、車庫ではなく駐車場の横にある小屋(昔母が内職のミシンがけをするために使っていた)で、一晩過ごしたこと。車庫に保管していた母の車イスを小屋に移動し座って一晩を明かしたこと。小屋には作業用や数点の上着があったのでそれを着こんで暖をとっていたこと。
小屋のドアは鍵がかけてあったけれど掃き出し窓は鍵がかかってなく開けることができ車イスを入れられたこと。
いくつもの幸運に守られながら父の精神力の強さを垣間見た出来事でもありました。
小屋のドアは開けようとバールのようなもので下の部分が壊されていて暗い中で必死に格闘した後が残っていた。
後々考察すると
ネジが落ちてスムーズに閉じなくなり、それが原因だと分からないまま木の細かいカスを撒いて滑りを良くしようと試みた。認知面で理解力が混乱してるようで…。
緊急事態に慌てた状態での会話に(父も難聴のため適当に頷くときもあるので)ヘルパーさんの思い込みもあった理解の仕方だったこと。
こんなときも
「聴く」の大切さを感じます。
何より父が
自分でなんとかしようと頑張ったこと。
夜にお隣のインターホンを押すのは申し訳ないと思ったこと。
結果大変な状況になったけれど
父の不器用な優しさを感じたり
認知症はひとつの病状であり
考えたり行動したり悩んだり
何より感じながら生きているということ
人の持つ力強さも
受け止め直した出来事でした。
S字フックも針金で作ってます。
プラスチック容器のお弁当の蓋を閉じるテープも再利用して使ってます。
私と兄のスチールの学習机もパソコン机としてずっと父が使ってました。
壁に貼られた言葉を読みながら
父が持ち続けた信念を
改めて感じています


