記憶のなかに残るワンシーン


あれは陸上自衛隊の
家族デーのようなイベントだったのか

小さな私が隊服を着た父と
手を繋いで並んでいた

目線の先には
戦車の上部にいる男の子と
他の隊員の姿

男の子は兄だったのかな



小さな頃のおぼろげな記憶




父の左耳が全く聞こえないのは
射撃訓練で聞こえなくなった
そう聞かされていた


ここ数年テレビ番組で
陸上自衛隊の訓練を見て
過酷さを目の当たりにし

父というより一人の人として
どんな体験をし
どんな人生を歩んできたのか

そんな見方をするようになっていった




ある方に
「隊員の方は感情を読み取られないよう訓練を受けている」

そう聞いて、鉄の壁のような存在だった父のことを諦めていた気持ちに光が差し

父と私の本当の気持ちを感じてみようと向き合っていくようになりました。



大切に聴いていただける場で
私自身の気持ちを
何度も何度も整えながら受けとめ




ある日勇気を出して
自分の気持ちと真剣に向き合い
想いを伝え父を抱きしめた


あの日から
何かが変わっていった







埃を拭いて壁に飾った2日後
安心するかのように
父が旅立の時を迎えました。




それは突然のようであり
そう遠くない未来と
感じていたこと













施設から葬儀場に向かう途中
少しだけ遠回りをしてもらって
実家に寄っていただいた



運転手さんが
父が家を眺められるように
車の窓を開けてくれる


「少し待ってもらえますか」

そうお願いして
玄関のドアを開けに行くと


「お父様に車から降りて頂いて玄関前まで
行って頂きましょう」







そんな優しさに

涙が溢れてくる









帰ってきたね



お父さんが
ずっと大切にしてきた場所に









午前11時
緊急の連絡が入った。


すぐに向かうも
30分後に再び着信があり
高速道路を走らせながら
その意味を感じる。



施設に到着し
父に触れると温かい

その表情は柔らかく
まるで気持ち良く眠っているよう
満足げにさえ見えた。





朝、父は職員さんからの声かけに

手を上げて挨拶したり
親指と人差し指で
○を作ってOKと意志を示したり


その表情は数時間後にその瞬間を迎える姿では無かったそうで関わっていた職員の方も動揺を隠せずにいた。


代わる代わる職員さんが部屋を訪室し、それぞれの父とのエピソードを聴かせてくださる。


「昨日の夕食は普段よりもよく食べられて…僕が支援させていただきました。」



「最近は朝食後の新聞もさほど見ず、部屋に連れていってと言われたのが気がかりでした。すぐに対応できない時があってもじっと待っててくださって…お父様我慢強い方でした。」



父らしい…







2日前に会った時に
やはり父はいつも通りだった


父のままの表情が焼き付いていて
痛みや辛さを出さない
その強さを知っている



施設医の診断は
老衰でもなく、胃癌が直接の原因とも考えにくく急性心不全とのことだったけれど


父の生き方をまるごと受け止めてきた
娘の私には


医学的な
急性心不全という言葉よりも

自分自身の命と向き合って
旅立つのだから
卒業という言葉を贈りたい



病と向き合い
周りへ愛を贈り
周りからの愛を受け取り


どんな環境も
受け入れながら旅立っていった












実家で一緒に過ごす最後の夜だと
父も私も感じていた
5月の入院前の夜

うとうとしながら目を覚ますと
じっと私を見つめる父がいた


言葉はいらない
父と私のこころの会話だった。









夫に
「負担になるようならもちろん俺が務めるけど… 喪主は美保がしたほうが父は喜ぶと思うよ  」
背中をそっと押され貴重な経験をした。








ブログを始めた頃は
父との関係は諦めていました。


鉄の壁のような存在の父と
分かり合える未来があるなんて
思っていませんでした。





父と私の日々を綴り

1ページ1ページ
大切に見守り続けてくださった
皆様のお心で



諦めていた私の小さな愛が
何倍にも何倍にも膨らみ
今日まで歩み続ける事が出来ました。




支えてくださいました皆様
お読みくださいました皆様に
心より感謝申し上げます。


たくさんの愛を頂きました。
想いをありがとうございました🙏





父の遺影は
普段なかなか見せてくれなかった
満面の笑顔を数年前に撮ったものに

そして背景は富士山





お父さん

ありがとう



尊い経験をありがとう



お父さんの愛をありがとう









贈り続けてくれた皆さんの愛

本当にありがとう


あなたの人生に幸あれ!


 藤男🌟