昨年母が亡くなった直後、
圧迫骨折でリハビリ入院する際に
「退院したらどこか旅行に行こうか!どこがいい?」そう父に提案するとしばらく考えて
「そうだな…長野県がいいなぁ。いろんな所に行ったけど長野だけは…行ってないな。」
そんな答えが返ってきた。
昨年8月に退院するとすぐ
父はその約束を覚えていて
「悪いけど旅行は行けないから。お前だけ行ってきてくれ。」そして旅行代を「銀行からおろしてきてくれ」と言う。
具体的には善光寺や諏訪大社の名前があがっていて、行くなら一緒じゃないと意味がないじゃない…と思いつつもそれから旅行どころではない心配な日々が続きました。
現在も体調に不安がありますが特養に入所してから私にとって父が人の中で過ごす安心感はとても大きくて、
行ける日はきっと来る
大変だった日々を支えてくれたひとつは
我が家から見上げた空
夜ふらっと近場で星空が見えそうな所に行ったりしましたがなかなか思うほどには見えなくて…
新聞に入る広告を見つめるたび行きたい気持ちは強まり入所をきっかけに行くタイミングを見計らってました。
11月4日に行けました
✨😲😲😲😲😲✨
手で暗くして覗くと奥行感も感じられます
そういえば市の中心部に小さなプラネタリウムがあって小学生の頃何度か観に行ったことを思い出しました。
一人で🚴行ったこともあったっけ。
あの時も星空を眺めながら瞳がキラキラ✨
小さな頃に感じたそのままの気持ちに再会です🍀
本当は空には
昼も夜も無数の星が光輝いている
ここからは星が少ししか見えない
ずっとそう思い込んで自宅から眺めていたけれど、体験すると見えるものが変わってあの日の世界観が見上げるたび甦ってくるから不思議
同じ自宅からなのに夜空は
以前より🌟が多く見えるように。
父とはいつもロビーでの面会ですが
先日居室へ初めて入りました。
コロナ禍故に荷物は家具を含めてすべて施設玄関先で手渡したまま。少しでも自宅に居たときのような空間作りに必要な情報を共有する為に見てもらいたいとのことで。
実際に居室に入れたことでこうしたほうが父にはいいと思うことや、こんなものを持ってきますなど、より良い形を創り出せることが有り難いです。
最近特に食事以外はずっと横になって寝ているそう。
手足は血液循環が悪くなりチアノーゼも浮腫も出てきました。前回の面会では左手が大きく浮腫み今回は両足が少し浮腫んでいて、日によってその状態は変化しています。
会話は覇気はないものの声をかければ答えてくれます。食事は多くて四割ほど。栄養も水分も不足気味です。
栄養補助食品の検討も始まったけれど
私が言う前に施設職員の方から
「栄養状態を考えても試してみて良いと思います。無理してではなく本人が食べたいと思う気持ちと食べることで身体の状態が少しでも改善するかなどと合わせて大切に決めていきましょう」
そう言ってくださる職員さんから今までも何度となく連絡を頂き、お互いに出来ることを相談しながらひとつひとつ創りあげてきました。本当に有り難いです🤲
以前から
父希望の鰻のおにぎりの差し入れもソフト食の為、看護さんや厨房さんと打ち合わせを重ねてもらっていて
食事量が減ってきていることもあり
「食べられるうちに好きなものを召し上がっていただけるようにお父様の好きな鰻を持ってきていただけますか。」
自宅にいたとき、食欲がなくてもこれだけは食べたいと言ってた鰻のおにぎり。
本当はこのままの形で食べさせてあげたかったけれど…
手を加えた形で提供されたので父は最初、鰻と分からなかったそうですが口に入れ理解してからは普段よりも自分で積極的に手を動かし食べたのだそう。
星空のように沢山の愛がいっぱい
実家の整理をしていると父の本棚の上に埃をかぶった額縁を見つけた。
家族の名前も書かれていて
いつ描いてもらったんだろう。
初めて見たなぁ
こんな風に大切に思う気持ち
もっと素直に語り合えていたら
我が家の歴史は違っていたのかも
見つけたとき
そんなことを想ったりしたのだけど…
その夜
湯船に浸かっているとふと感じた。
あれ、違う
初めて見たものじゃない…
記憶が甦ってくる。
そう…見たことがある。
昔本棚の上に立て掛けてあったもの
ずっとそこにあったはずなのに
その想いを感じていなかったのは私。
実家の整理は
星空のように
愛を輝かせてくれます🤲
いえいえ
生まれ育った豊川の景色です







