3月母の一周忌に
力強く鐘を鳴らしていた父



その後も
小規模多機能型居宅介護から
看護小規模多機能型居宅介護へ移行し
皆さんに支えて頂きながら
過ごしていましたが

受診を繰り返しながらも
徐々に体調は悪化し


5月中旬には急激に
食欲不振や血圧の低下
体調不良は顕著になっていきました。




かかりつけ医で  5/16

顔色からも不調は推察されましたが
こちらでは血液検査をしても
検査結果は翌日とのこと。

市民病院へ紹介状を持って 
受診すれば今日結果が出ます。
どうされますか?

紹介状をお願いして
すぐに向かいました。




市民病院では
再びいくつか検査をし
結果を踏まえ輸血をすることに。


既往歴から(15年以上前に胃のポリープを切除したことがあった為)胃がんによる出血があると推測され、 

高齢でもあるので検査も抗がん剤を使った治療をすることもお勧めできませんと…。


その日の診断では
急性期の治療の必要はなく
入院するほどでもないそうで
輸血のみの対応


今後のことは
かかりつけ医と相談して
決めて行ってください

との言葉を受け





輸血が終わるのを待ちながら
不安な…

とも言い難い…


とても混濁した想いの中で
それからの日々を過ごしていきました。

 

輸血した
その日と翌日は急変も考えられたので
看多機への宿泊をお願いし
看護師さんの見守る中で
過ごさせていただき…
 

私は一度自宅へ戻り
様々な段取りをして準備してから、

輸血の翌々日5/18
看多機へ迎えに行き
かかりつけ医の担当医師の元へ
再び父を連れ受診しましたが



横になってばかりの身体は
車での移動の際に嘔気が起き
更に顔色が悪くなったり…


輸血後も
顔色等の改善も認められ無いため

かかりつけ医から
再び輸血ができる療養型併設の病院を
紹介していただくことに。





紹介状があっても
翌日 5/19  11時の予約受診となり

その夜は覚悟を持って
(急変があれば迷わす救急車を呼んでください。気を付けて。と医師の言葉を抱えながら)
父と二人で実家で過ごしました。


歩くのはふらつきながら支えながらやっと。食事も数口無理して食べる程度。



父と私はお互いの顔が見えるような
L字の位置で休みました。


夜中
うつらうつらしていると 


父がこちらを見ている。

横になったまま
私も同じように見つめます。



言葉は交わさないけれど

静かな良い時間でした。



この家で一緒に眠る最後の夜だと
お互いに
感覚で味わっていたひとときです。







朝になり

横になっている父が手招きをします。 

ん?なあに?と近づくと



頭を起こして優しい眼差しで

ありがとう  
そう大切に伝えてくれました。
 


人としての
温かい想いが
胸に響いてきました













「お父さん…本当によく頑張ったよね。
私も頑張ったよね。みんな頑張ったよね。それからたくさん向き合ったよね。」

ありがとうの言葉を抱きしめながら
そう伝えると
小さく2度3度と頷く父でした。
 





5月からお世話になった
看護小規模多機能型居宅介護のご縁は
3週間と短い期間でしたが

看護面でのサポートが本当に心強くて

必要な情報は早めに
様子を見てよい事はタイミングをみて
報告をしてくれたり

私が慌てて往復しないように
臨機応変に対応し
何度も何度も助けていただきました。



何よりもその場所を
父がとても気に入ってくれていて
↑これが一番嬉しい



朝訪問されたヘルパーさんに
今日はなんだか不安だから泊まりたいと父が自分で依頼して急遽宿泊したこともありました
この頃から身体の声に助けられて、看多機(自宅以外)で暮らしたいと気持ちを口にするようになりました。




 


療養型併設の病院でも
受診予約の段階では受診後
一週間後の入所とのことでしたので



看多機と連絡を密に取り合い
私が付き添えないときは
連泊をと段取りしていましたが



5/19当日受診に向かう車の中でも
嘔気が始まり後部座席を振り返り振り返り病院へ向かいました。



三日前の輸血でこの数値は悪すぎると
(ほぼ改善されていない結果)
そのまま入院となりました。

病院同士の話の食い違いがあったようで療養型病棟には入れないと対応は二転三転しています。
現在退院は未定です。



幸いこちらの病院では週に一度
10分だけですが本人に負担をかけず
部屋の中で面会ができるのが
本当に有り難いです。




調子の良いときは
ベッドサイドに腰掛けて
並んでおしゃべりをします。

調子の悪そうなときは
起き上がらずに
黙って手を振ってくれます。







あの時

こうしていたら…



この時

こんな対応していたら…



15年以上前
父は胃ガンのため胃の全摘を勧められましたが
医師の話には耳も貸さず父自身が希望しませんでした。ポリープのみを切除しましたが今日まで特別治療もなく暮らしてきました。

親友がやはり胃の全摘をし寝たきりになっている姿を見てそれでは母を看れないとの理由でした。

また5年ほど前に脳梗塞を起こす直前までの数年間はすべての薬を飲まなくなった時期がありました。
薬を飲んでまで長生きしたくないと。





結果を見つめては

過去を振り返ったりするけれど




葛藤する中で決めたその選択は

そのどちらであっても

愛から生まれる尊い体験だと




あの日から今日まで

ずっと学び続けてきました







父が 


自分の生き方を

納得するまで続けてきたように








面会で写真を見せると驚いた顔で暫くじっと見つめていました。仕事で2ヶ月間厳しい訓練を受けていた45歳の父です







自分の愛のカタチを貫いた


ひとりの生き方です🍀