腰椎圧迫骨折をした父

本来なら2週間の入院を勧められるも
病室満床の為に自宅介護となり

その日から
実家でのサポートが始まりました




母の状態も心配な時、入院すれば
面会にも行けずの状況だったけれど


今振り返っても天の采配は
20年以上母のお世話をした父に
入院できないからこそ
母に会いに行くことが出来る

そんな
悔いのない看取りを贈ってくれた




母の看取りの時期が迫っている最中に
父の圧迫骨折が判明したり
一見、困難だと思う状況になると
いつも思い出す言葉がある


母が麻痺側大腿部頸部骨折をし
入院し施設へ移った頃 4年ほど前

父は何年も自分の薬を飲まず
頑なさが増していき
認知症状が顕著になっていった

いつも通帳や探しものをしていた…
その後、軽度脳梗塞を発症しました




地域包括支援センターへ
相談に行き
社会と繫がることを求めて

現状を見てほしいとお願いして
自宅に訪問していただいた時のこと


社会福祉士の方が帰り際に
物盗られ妄想もある父の対応で
疲れ顔の私に丁寧に語られた言葉



『ご家族様は
今が一番お辛いときだと思います。
これから時間とともに現状は必ず変化していきます。
希望を忘れませんように…』



困難だと思う事に向き合った瞬間は
ずっと永遠に
その苦しい最中にいる感覚だけど…


時間とともに
少しずつ少しずつ起きる変化を
ちゃんと理解し気づいていくことを
あの日から
意識出来るようになりました




今回もお正月の入院のときのように
多くの方のサポートがありました


私は今年のお正月に眺めた
初日の出を思い起こしていました



ケアマネさんや民生委員さん
対応してくださるヘルパーさん
実家両隣の方々

温かい交流を沢山しました



皆で喜びを分かち合う
皆で支え合う








深夜に旅立った母を前に
施設で当直医が到着するのを待つ
一時間半ほどの間に

父の腰の痛みを心配して
個室の母の部屋に
もうひとつベッドを
工夫しながら用意してくださった
(狭い部屋の中…様々な工夫をして横になった父から母の顔が見えるように…深夜にも関わらずその優しい丁寧な対応に救われました)

父は頑なに横にならず
ずっと痛みを抱えたまま
椅子に座っていた

私に横になるように何度もすすめる
兄のときもそうだった

その場に集まる人の中で一番高齢でも
椅子が足らないと
父は座らない


そんな父と母と
きっと側にいてくれた兄と
深夜施設の一室で
家族の時間をすごした

 
医師が到着し
死亡確認が行われました







その後、市役所への手続きの中で
ふと医師による
死亡診断時刻に目が止まる



4じ15ふん











父の誕生日と同じ数字が並んでいた





母のありがとうが聴こえてくるような
そんな偶然を知った瞬間

父は嗚咽しながら泣きました
















お父さん!
私のお世話になっている方のお母様は
110歳だそうだよ!

後18年もあるね!


普段表情をあまり変化させない父が
その年齢を聞いて
目を大きくして驚く





それから父は
今後の生活を意識した発言が出たり

もう辞めると言っていた
デイサービスに通う気持ちになったり




頑なで
人に甘えることを知らなかった父は
3年ほど前、軽度の脳梗塞になり
病院のベッドに横たわり
思うように動かせない身体で
子供のように泣き叫び
生まれ変わって歩みを続けてきた


母や周りの人の愛を
両手で受け取ることが
出来るようになり

ありがとうと気持ちを込めて
伝えるようになり

出来ないことはできないと
甘えてきたり

そして今まで同様に
頑張って生きることを忘れない





しなやかに強くなっていく
ひとつひとつの魂の存在が

誰の中にもあることを教えてくれた








お父さん
お母さん
そしてのんちゃん


沢山の大切な贈り物を有難う











ベッドで横になって過ごすと日中の痛みは少なく
室内行動は可能でしたが
日常の活動を増やすと神経の痛みが増していき
主治医と相談し父の意思のもと
13日からリハビリ病院へ入院になりました






家族を支え育ててくれた父へ

92歳の誕生日は離れ離れだけど








母と兄と共に父のこの家から




感謝の想いを贈り過ごします












ありがとうございます🙏