ずっどずっと昔のこと







母が脳梗塞で倒れ
不安の中で毎日を過ごしていた

子供達は小学校低学年と幼稚園
私は内職をして
家計をやりくりしていた頃のこと 





母が倒れて何週間か過ぎ
症状が安定した頃

経管栄養から
口からの食事へと移行していった



父は
食事介助と洗濯物を回すために
毎日通った
一日2回病院へ行くことも。


父自身の食事は
どんどん適当になっていき

インスタントの汁物に
白飯を入れて食べている姿を見て
切なくなった



私は平日は内職を頑張り
週末は金曜の夜から日曜日まで
子供を連れて実家に泊まるようになった



母が退院して自宅に戻ると
嬉しかったけど
私の役割は更に増えていった






娘や息子のことでも
様々な悩みが続いた

終わらない介護
知識も何もなかった


ただ頑張る

それだけしか知らなかった





自分の身体に向き合うことも知らずに
頑張り続けていたら



身体からぎぃぎぃと音がする
そんな音するわけ無いのに。。


だんだんと
身体が重くなり動くことが辛くなった




やっとの思いで子供を送り出す

洗濯機のスイッチを押せるまでに
2時間かかったこともあった

午前中寝て
午後また眠たくなって寝て

夜も寝た






朝になれば朝が来たと
苦しくなった

夜寝る前になると
寝たらまた明日がやってくる

不安や苦しみしかない感情



押しつぶされる中で
やっと病院へ行った





どこに行けばいいのかも分からず
とりあえず行った病院では

すぐに涙が溢れ
診察時間10分ほどで薬を処方された



飲んでも心も身体も軽くならなかった









近所の内科に行った
(思い出した。たかちゃんに先生良い方だよと教えてもらって行ったんだ)

女の先生で

診察時間は10分もなかったと思うけど

女性の視点からも
その時の私を
まるごと受け止めてくれた





処方されたのは漢方薬
すぐに効果は出ないと聞く


でも飲むと先生が浮かんできて
安心するひとときが

私の小さな希望だった



 


その頃夫に

住宅ローンもあって
内職も出来なくなって

ご飯も作れなくて
お惣菜を買ってばかり。。






「いつまでもこんなんじゃダメだよね。。お金もなくなってきた。。」







そんな思いを話したとき


穏やかな笑顔で

「まだいいよ。動けないときはまだゆっくりしくれてていいよ」


そんな思いがけない返事が返ってきた




「。。。。だけど。。」

言葉が続かない。。






夫はそのままそのままといった感じで
両手を動かしながら


「まだいいよ」 
「動けるようになったら動けばいいから」 


そう
笑いながら言ってくれた







ただただそのままを

受け止められるという経験は

それから私に変化を与えてくれた






重たい身体でも
息子を幼稚園バスまで送っていく

だったら 
その直前に
庭の草取りを1分だけでもいいから 

やって みようかな。。
  


 
幼稚園バスが来る前に
毎日、毎日、庭に出た
息子と一緒にほんの僅かな時間
草を取っていたら






空を見上げたくなった
 




お陽さまが温かいと感じた


風が優しかった
 

葉っぱが揺れるおとが
心地よかった




心臓がドクンドクンと身体を通して
生きてるよって教えてくれた










サビサビだった物を綺麗に塗り直してくれました



 
転勤の話が出てからこの2ヶ月余り
夫婦でたくさんの語り合いをしました




責めてばかりで
わかり合えない時期があった



「まだいいよ」
たった一言で救ってくれた時があった



母や父に向き合うとき
答えるのが辛かったら俺に振れ
俺が答える



何度も何度も
選択を迫られる私に勇気を与えてくれた




この転勤は我が家への
大きな大きなギフト


離れていても
それぞれの生活を一緒に楽しもう






振り返りと未来を見つめたこの2ヶ月



お互いにエールを贈り愛

新生活を始めます









皆さんの優しさを受け取りながら











出逢えた皆様に








心から感謝を込めて