学生生活最後の
昨年年末に帰省した時、
息子は
箸と富士山の形の箸置きを
プレゼントしてくれました
ねーちゃんの分もあるからね
あの時そう言ってくれた息子は
おねーちゃんの部屋へ行って
直接渡してくれました
おねーちゃんは
ある日一人で外へ出かけ
図書券を用意していた
3月
東京から他県へ引っ越しの
弟の手伝いに向かう父親へ
渡して欲しいと託していました
家から離れたい
高校で進路を決める頃
息子はそう言っていた
息子が小学校6年のとき
先生が
「兄弟姉妹が中学校へ通っていない人、
この用紙を持っていってください」
おねーちゃんは
当時中学3年生
でも通えない日々を過ごし
家にいたから、、
おねーちゃんは
中学生だけど学校には通っていない
困って悩んで胸いっぱいになって
帰ってきた途端
ぼくはどうすればよかったの
そう言いながらわぁーと泣き伏せた
(誰にも聞けず先生に見つからないように
教壇にあったその紙を取ってきたのだと)
いつも明るかった息子が
泣き続ける姿を見ながら
どうすることも出来ない
現実との向き合い
親として胸を痛めた思い出です
それからも息子はずっと
葛藤を続けてきた
学生生活
一人暮らしを始めると直ぐに
親のありがたみが分かったよ
かーさん
フルタイムで働いてご飯作って
じいちゃん達のこともやって
大変だったね
そう電話で言ってくれたっけ
この学生生活が
どう成り立っているか
知っている
そう言って
いつも私が握りしめているものを
温めてくれた
就職して研修5日目に
緊急事態宣言が出て
自宅待機の日々が続くと
ちょくちょく電話がかかってきた
生活の知恵を質問してきたり
時々弱音を聴かせてくれたり
手料理頑張ってるよと
写真を送ってきてくれたり
なんだなんだ?
この頃かーさんばかりに電話してるな
そう夫が息子に言うと
とーさんにはねーちゃんがいるだろ
だから俺はかーさんを大事にするの
(家事手伝いをしてくれる娘は
様々なトラウマを抱え苦しみながら
今は父親とだけ顔を合わせ会話をします)
家族の糸は
皆で
絡まったりほどいたり
少しずつ変化していきました
6月上旬のある日
息子からの不在票がポストに
翌日に郵便局へ取りに行く為
何を送ったの?と聞くと
こっちで使わないコップとか
あっ!汚れてるから
出来たら洗ってほしい
そんなやり取りをして(やれやれ)
翌日もお仕事だった為
仕事帰りに
夫に荷物を取りに行ってもらうことに
もう家にある?開けた?
早めに洗っておいてくれると助かる
何度となく連絡が来るので
そんな大切なコップ
こっちに送ってくるかな?
それとも
余程取れないような凄い汚れなのか
???
不可解に思って
届いた荷物を開けてみると
贈り物の湯呑とお手紙が。。
涙がポロポロ出てきます
すぐに電話をして
声を聴きました
喜びを伝えると
引っ越しと不安の中で過ごしていた時
たくさん助けてくれて
ありがとう
自粛で時間もあったしね〜!
作文や感想文が
大の苦手だった息子でしたが
社会人として頑張っていく
気持ちが込められた文章で
自分はもう大丈夫だから
安心して欲しい
便箋いっぱいに
そう丁寧に綴ってくれていました
何を飲もうかな
温かさに包まれて
美味しく珈琲をいただきました
大切に大切に使うね。。
6月中旬
今度は息子の誕生日
こちらからも
夫と私とそれぞれに
手紙を書いて
一緒にお祝いの贈り物を選びました
誕生日当日に届くように送ったのに
その日に限って
スマホを忘れて仕事へ行ってしまった
あぁ。。なんて、なんてことだ。。
誕生日によくリクエストされ
何度も一緒に作った
大好きなピザと明太子スパゲティを
お腹いっぱいに食べたのだそう
生まれてきてくれて
ありがとう
生き方が未熟だったお母さんを
お母さんにしてくれて
ありがとう
私は
誰も救えない
誰も幸せに出来ない
私の心の奥底にある重荷を
ひとつ柔らかくして
おろしていってくれた息子です
私の夢は
家族4人揃って笑顔で写真を撮ること
わんちゃんも迎えて一緒がいい!
日々起こる出来事
人の創り出す感情の中で
怒りや悲しみや苦しみに
向き合うことはあるけれど
1人ひとりの光を
これからも信じたい
相手の感情を
大切に感じながら
自分の感情も大切に
誤魔化さずに
ありのままを受け止めながら
今日といういちにちを
人生を
感謝で締めくくれるように。。
未来を信じていきたい
そういえば
県営住宅に住んでいた子供の頃
おぼろげな遠い記憶の中に
庭にハイビスカスがあったような。。。
大切に育てようと思います











