父は一人暮らし
89歳
ありがたい事に
歩いて1分から10分以内に
駅も病院もスーパーも
ホームセンターもドラッグストアも
生活に必要なものはほぼ身近にあります
今後のことを考えてか次々と伐採しています
脳梗塞による後遺症も
退院当時には
想像もできないほど回復しました
(腰のずれるような感覚と
左足の上げにくさが残り
歩きがゆっくりにはなりました)
駅まで5〜6分ほどの距離が
辛いと言っていた体力も
特別養護老人ホームにいる母を
今も看ているという意志の強さと
新聞や広告で気になる場所を見つけては
一人で電車に乗って
お出かけを楽しみながら
沢山歩くことが
リハビリにも繋がっていったようです
電車とバスを乗り継いで
隣の市、豊橋にある
のんほいパークへ行ったり
蒲郡にある竹島水族館に行ったり
休み休み行くと分かってはいても
不慣れな場所で
何かあったら。。と
心配していないわけではないけれど
だけどそれよりも
自分で行けるんだ
できるんだを体験している
父の想いを大切にしながら
出かけたときの話を
楽しんで聴くことが
今の私の役割のひとつ
父は線路にかかる
この歩道橋を歩いて通院しています
ケアマネさんから電話が来ます
あのルートは危ないです
大丈夫とお父さんは言いますが
脳幹の梗塞がある身体
バランスを崩しやすく転倒したら。。
駅にあるエレベーターを使えば
転倒のリスクを回避できます
(歩く距離はわずかに長くはなります)
駅からのルートで行くように
娘さんからも勧めてください
ケアマネさんからの立場で
父を想っての最善の意見
確かに危険
確かに心配
特に認知症状が顕著になったこの2年
(何度も口論したり向き合ったりしましたけど)
心配や不安は横において
見守りながら
父の想いを感じることを
大切にしてきました
周りの方からの
大切な意見も厳しい意見も
受け止めてきました
ケアマネさんからの意向は
確かに正しいのだけど
一度横において
車ではなく歩いて行きたい父の気持ちや
父が行きたい道で一緒に歩いて
同じ景色を眺めてみる
そこには
父なりの目的がありました
一人暮らしの父の体調を心配しての
2週に一度の受診は
先月から父の希望で
4週に一度の受診になった
ケアマネさんに
丁寧に想いを伝えました
目的があってこの道を歩いていました
転倒のリスクは確かにあるけれど
認知症状が顕著だったときも口にした
人の役に立ちたい
今は父のその気持ちを
大事にしたいと思います
初めて一緒に歩いて受診した先月
父が父自身のことで
めったにしない頼み事をしてくれた
「頭の毛を刈ってくれんか」
父の髪を
玄関先のモッコウバラの前で
バリカンで刈ることになった
短いのが好みなら
毎月受診の日に散髪しよう
少し
小さくなったような父を感じながら
バリカンをとめて
そう声をかけた
小さな声で
「あぁ」と返事が帰ってきた
人は自分自身の
悲しみや苦しみ
弱さをに向き合い
護りたいものを握りしめながら
日々沸き起こる感情を選択をして
生きている
その瞬間
大事にしたかったもの
あの時父は
何を見つめていたのか
何をみていたのか
知らないことを知っていく毎に
止まったままだった
様々な過去の出来事が
小さくなって消えていき
私のこころの中の
父との対話は
終わりを告げた
人は弱い
そして強くて優しくて温かい
目の前に起こる出来事の
その奥にある
たったひとつに繋がって
目の前にいる人の
自分自身の
光に寄り添うひとときを
幸せと感じられる今の私がいる
お読み下さり
心より
ありがとうございます⭐



