8月12日
息子のいる東京へ向かう車の中
朝陽が景色を彩り始めて
遠くに富士山が現れた
朝靄の中に佇む富士山は
白い絹をまとっているよう
東京近郊にはゆっくりと
逢いたい方々が沢山いるけれど
行きたい場所も沢山あったけれど
1〜2年前から所属している
社会人草野球のベースボールクラブ
息子の野球をする姿を
ユニフォーム姿を
ただもういちど観たくて東京へ
天王洲公園
(ご縁があるのか浜離宮恩賜庭園のほど近く)
今回の大会は多分出番はないよと
言われていても
学生生活最後の年に
その姿をもういちどだけ観たかった
元プロ野球選手が監督として
参加しているこの試合
監督の打席も目の前で観ることができて
選手の子供たちが
並んで応援する姿が可愛らしくて(笑)
温かな気持ちになるこの記憶
だいくさんになりたいって書いたら
周りの子が皆サッカーせんしゅって書いてあるのを知って
大泣きして帰ってきた
「ぼくだけだいくさんにならないといけない〜」
びぇ〜ん(ノД`)
そっか、そっかぁ
一緒に書き直そうか(*´∀`)
見守りながら
マッキーでサーカせんしゅって書き直した
それから何年もしてから
再び開いてみるとえんぴつで
やきゅうせんしゅになりたいって
書き直してあるのをみつけた
小学4年で始めた野球
三塁打を打ったら
大トロを食べさせてやるぞ〜!
料理人でもある少年野球のコーチが
面白半分でハッパをかけたら
大事な場面で本当に打って
年末の打ち上げで
手料理を振る舞ってもらっていたっけ
サードからファーストへの送球が
暴投ばかりになった頃があって
自信がなくなって試合中
サードから逃げ出したこともあったなぁ
フェンスを超えるファールボールを
全力で捕りに行く姿に
感動させてもらった。。
中学に入ると
それまで守っていたサードではなく
ファーストで輝き出した
伸び伸びとしなやかに
ファーストを守ってた5年間
高校3年の春は
なぜか野球ではなく体育の授業で足を痛めて
試合に出られない日々が続く
大学に行ったら野球はもうしないと思う
そう言っていた高校最後の夏
ケガから復帰すると
ファーストではなくサードを守ることになった
苦手なものに向き合うことになった夏
高校生活最後の試合は
少年野球の監督だった方が
そっと観に来てくれていた。。
センター試験で挫折して
大学ではもう野球はしないよ
他のことをして楽しみたい
家から出て暮らしたい
そう言って遠く離れて
学生生活を送り始めた
帰省するたび
付き合ってくれるコメダデート
東京での日常を聴くのが楽しみだった
今回の大会
出番は無いかもしれないけど
ユニフォームは一生の宝物になると
瞳を輝かせて語ってくれる姿が
何より嬉しかった
高校生の頃からかな
いつかかーさんに
マッサージチェアーをプレゼントしてやるよ
ずっとそう言ってくれていたっけ
兄が亡くなってからだっただろうか
俺は男だからさ
ちゃんと色々考えてる
この生活がどうして成り立っているのか
分かっている
だから俺がかーさんを大事に思っているだろ
そんなことも言葉に出してくれた
昨年の9月
ずっと、ずっと昔
頑張っても頑張っても
難題が押し寄せていた頃
小学生の息子に添い寝しながら
耐えきれずに声を押し殺して
背中を向けて身体を震わせ泣いてしまった
黙ったまま
息子の小さな手が
私の頭をそっと撫でてくれた
何度も
なんども
あの時の感覚は
今もずっと残っている
来年から社会人
このまま東京で暮らすことになるんだろう
学生生活最後の年
楽しむ姿をもういちど
ただ観に行きたかったんだ
ユニフォーム姿を観ながら
魂からの感謝状を
息子へ
届けたかったのかもしれない
たいせつなたからもの
おかーさんの子に生まれてきてくれて
二人とも
本当に本当にありがとうね。。
これからも
夢の続きを描いて
好きの気持ちを
大切に楽しんでいってね(*´∀`)










