同じ景色を眺めていたり
同じ体験をしているつもりでも
目の前の出来事は
まるで違うものを見ているかのように
人はそれぞれの世界から
たったひとつを確かめるために
笑ったり
悲しんだり
怒ったり
責めたり
愛したり
愛されたり
受け止めたり
与えたり
感じたりしているのでしょうか
子供の頃のこと
貧しかったと記憶する我が家
母は日曜も祝日もお正月も仕事だった
夜も庭にある小さな小屋の中で
内職のミシン掛けをしていた
洗濯機の上にまな板を置く台所で
ご飯を作っていた母を思い出す
そばに行くとイライラしてるのか
「邪魔!」と言われた記憶だけが残っている
忙しく貧しく必死に家計を助けていた
当時の母を
今だから理解できる
6畳二間の県営住宅で暮らしていた
家は小さかったけれど庭があり
犬を飼い
小6の時に近所で生まれたシャム猫が
我が家に来たのがとても嬉しかった
朝起きると
犬が赤ちゃんを産んでいるのを見つけて
喜んだ
売られて連れて行く車を
追っかけて泣いた
父が小鳥の世話をしていた
文鳥や十姉妹がいた記憶がある
食卓のこたつをどかす
そこに布団を敷く
父と母が寝る居間
隣の部屋は
二段ベッドの上が私
下の段に兄が寝ていた
二段ベッドの横に
背中合わせに兄と私の学習机と
タンスで埋め尽くされていた
エアコンもなく
夏の台風の夜は
汗だくで「暑い暑い」と騒いでいた
耳掃除が好きで
母の耳は私のかかりだった
今の実家には
中学1年のお正月にお引越し
引越しをしたことで
シャム猫のミーコは元気が無くなって
大丈夫だよって気にしてたら
少しずつ慣れて一緒に元気に暮らしてくれた
私が社会人になった頃
虹の橋の世界に旅立っていった
数年前
その県営住宅があった場所に
車を走らせてみた
新しい家が立ち並び
どこにその場所があるのか
はっきり分からなかった
中学1年の12月まで暮らした家は
優しい思い出の中に今もある
母はいつも家にいない人だった
17年くらい前に
母が脳梗塞で片麻痺になり
それ以来父がずっと世話をしてきた
数年前
父は胃がんで全摘を勧められていたが
友人がやはり胃がんで寝たきりになり
弱っていく姿をみていたので
そんな状態で母を看れるわけがないと
全摘を拒否しポリープ切除手術のみで
今日まで過ごしてきた
先月末には腸閉塞の疑いで
緊急で市民病院を受診した
痛みが強く冷や汗が出て
熱と寒気に襲われて
父の中ではもう家に帰ってこれないと
そう思っての
助けを求める電話だったと
後日その時の気持ちを聴いた
何かと父の不調が続きましたが
私の大切な予定の日には
体調がよく声にもハリがあり
私にとって大切な用事の日は
自分を大事に過ごすことができた
大事な予定でも
今、会うタイミングではない予定は
父の体調が悪くキャンセルになった
昨年までバイクに乗って
お風呂に行くのが好きだった父は
体力が急に落ちてきて
それも難しくなってきた
電車やバスで行くこともあります
一番お気に入りの場所は
遠いので一人では行けなくなった
なので今回はお風呂への送迎
実家から車で25分
森の中
父にとっての癒やしの湯
母に会いに行くのではなく
父が体調悪いから行くのでもなく
ただ父の好きなお風呂に
付き添いに行く
一緒にいても耳が遠いので
出先では
私は聴く立場になることが多い
狭い空間の家の中の
当たり前の父と娘の関係ではなく
しがらみも何もない中で
周りの環境のチカラを借りて
自分のエゴも何もかも持たずに
持つ必要のない時間を過ごした
私も本当のわたし
父も本当の父
ずっとずっと本当は
私が求めていた時間
この日に実家に迎えに行くと
もうすっかり支度が出来ていて
「早かったな」と
道案内はいつも
父が細かな道を指示してくるが
この日は何も言わない
本宮の湯に到着し
黙ったまま
私の目を見る父
読みたかった本を読んでるから
ゆっくり入ってきてね
そう言うと黙って頷く父
40分後現れた父は穏やかな表情
建物内の中にある食堂でお昼ご飯
いつもは一人だった父の
同じテーブルに座る私の存在は
きっと温かいものなんだと
父の気持ちに重なり
ご飯を食べる父の姿を眺めながら
感じていた
屈託のない子供の頃に
愛されてないんだと
深く傷ついた出来事があった
きっとあの時から
私は蓋をしていた
大好きだから傷が深く
大好きだから許せなかった
大好きだからずっとずっと
待っていた
やっとホントの自分に出逢えた
人はそれぞれの世界から
たったひとつを確かめるために
笑ったり
悲しんだり
怒ったり
責めたり
愛したり
愛されたり
受け止めたり
与えたり
感じたりしているのでしょうか
お読み下さり
ありがとうございました


