もしかしたらずっとずっと
私は忘れていたのかもしれない
あの日あの時
自分を自分の力の限りに
信じていたことを
あの日あの時の自分を信じ
大切にちゃんとあの日に戻そう
あの日からの毎日が創り上げてきた
今日という1日いちにち
そして皆さんの
お一人おひとりの経験を
聴かせていただいてきたことが
聴いていただいてきたことが
皆さんとの繋がりが
1日いちにちの積み重ねが
どの日もかけがいのない毎日でした
脳梗塞で母が倒れたのは
今から17年ほど前
息子がまだ幼稚園に通っていた頃
病院に駆けつけた時
母は軟体動物のように身体をくねらせ
舌を出し
目は裏返り
初めて見るその姿に
衝撃を覚えた記憶が残っています
前日から頭が痛いと言っていたそうで
朝起きてトイレの前で倒れていた母
その日父は釣りに出かけ
戻ったとき母を見つけ
父も動転したのか
隣の喫茶のママさんに
「困ったな
今日はモーニングに行けない」
そう言って
お隣の方が救急車を呼んでくれた
初めての認定は要介護5
名前も言えない
自分が誰かも分からず
虚ろな表情の母
鼻には経管栄養の管
それを無意識に抜いてしまうので
付き添いが居ないときは
ベット柵へ両手を縛る
初めてみた抑制
動かせない両手を解きたくて
必死にもがく母の姿
帰るのが、、辛かった
すべてが
訳のわからないまま過ぎていく日々でした
ある日突然
看護婦さんが母を車椅子に乗せてくれた
何も分からなかった私は
こんな状態なのに
そんなことしてもいいの?って
激しく驚いている記憶があります
「もう17日もこのまま、起きましょう」
そう言ってまだ太り気味の重い母を
お一人で車椅子へ
どうなっていくのか
知識のまったくなかった日々の中で
初めて「希望」を感じた体験でした
ぎこちなく
父と兄と私で車椅子を押し
廊下に出てしばらく散歩
廊下に鏡があった
その前で止まり鏡に映る自分を見つめる
母の表情がよりこわばっていた
お母さんって声をかけても
不安げなどこか遠くを見ている顔
落ち着かない小さな震え
自分が誰かも分からない時間を
母は長い間、彷徨い過ごしていました
あれから17年
長い年月をかけて要支援2まで回復し
片麻痺だろうが
言葉が不自由だろうが
大好きなパチンコは
お金が許す限り父が連れていきました
一人で出かけ転んでしまうと
立ち上がれなくて
見つけた方が助けてくれました
数年前に胸水が溜まり入院
退院しても
パチンコに行けなくなり
楽しみも無くなり
歩きも少しずつ遅くなり
笑うことも減っていく
ポータブルトイレをベット横に置いても
遠いトイレに行くことが多かった母
危ないからここでねって伝えても
15分くらいかけて
トイレへ行って戻る
そんなにしてまでトイレがいいの?
どうすることも出来ない私に
そうだよって言わんばかりの
微笑みながら頷く
リハビリパンツを下げるときに
間に合わずもらしてしまい
下半身裸で戻ってくることもあった
今思えば
父にポータブルトイレを
片付ける手間を想い
母が出来る
精一杯の愛だったのかもしれない
耳の遠い父との二人暮し
父と兄と私と
助け合いながら
時に責めあいもした17年
当時は義父も
認知症が徐々に進行していた時で
両家の対応に追われ
仕事も辞められず
大切な家族も自分も何もかも犠牲にしていた
話し合いが始まると
いつも母は泣いていた
病院に行くと看護婦さんや
介護の皆さんが私に声をかけて下さいます
「お母さんの笑顔素敵ね
私達のアイドルなのよ
この笑顔に本当に癒されるの」
そう言いながら母を優しく見つめる
優しい病院の皆さんに
私はどれだけ
支えてもらえているのでしょうか
いつも母のところへ行くと
必ずしてきたのは
ご飯を食べるときは手を合わせて
「いただきます」
「ごちそうさまでした」
って言おうね〜
好き嫌いが激しかった母に
「食べ物に感謝しようね」
「作ってくれた人に感謝しようね」
人に何かしてもらったら
「ありがとう」って言おうね〜
そう声をかけてきました
幼子のように
素直に嬉しそうに頷く母
看護婦さん達がお母さんの笑顔で
癒されるって言ってくれてるよ〜
そう伝えると嬉しいのか
ニコッっと満足げな顔で
小さく何度も何度も頷く
くったくのない笑顔は
私も周りの皆さんも幸せにしてくれるね
そしてある日
一番言わないといけないのはお父さんにだね
ちゃんとお父さんにも言ってる〜?
って聞くと
手で目頭を隠すように
顔をしかめて泣き出してしまう母
自宅にいた頃は
「死にたい」って折に触れ
つぶやいていた
人のお世話なしに生きられない日々に
辛さを抑えきれずに
何度も聴いた母の気持ち
今、
母はもうひとつ
幸せを知ったのかもしれない
自分が周りを幸せにしている
笑ってくれる人たちの中で
17年の不自由な身体を抱えながらも
人を癒やす存在の母は
長年、
母娘として交じり合えなかった関係
いつも家に居なかった寂しさを
埋めてくれるかのように
今は愛おしい存在
いつか誰もが
大切な人の看取りを経験する時に
悔いのない瞬間を過ごせますように
何も変わらないかもしれない
でも本当の自分に出会えたとき
何かが
変わっていくのかもしれない
生まれるとき
沢山の愛で包まれて生まれてくるように
いつか誰もが
旅立つとき
愛の中でその瞬間を迎えられますように
兄との別れは
苦しみだけの中での看取りでした
苦しかった私は
ずっと彷徨っていました
兄が亡くなるとわかった時から
私が見失っていたものは
自分を
愛することだったのかもしれない
人を
信じることだったのかもしれない
誰もが悩みを抱え生きる中で
目の前にある出来事のその奥にある
たったひとつを護るために
傷つき悩み苦しんでいる
結果だけが全ての世界ではなく
苦しんだ喜んだ1日いちにちが
かけがえのない宝物
誰もが
苦しみの先にある幸せに
出会えることを信じています
あの日あの時
精一杯向き合った自分を
ありがとうの言葉を添えて
あの日に返そう
今日という1日いちにちに感謝して
今日もお空に向かって
ありがとう( ´∀`)
そんな私の1日いちにち
長文にもかかわらず
最後までお読み下さり
ありがとうございました
人の想いが繋がって
今日も大切な1日となりますように
この地球が
愛でいっぱいになりますように
出逢えた大切な皆さんに
精一杯の感謝をこめて

