何年ぶりでしょう(*´∀`)
8月の半ばごろだったでしょうか
高校の友から連絡がありました
それぞれの結婚式に参加し
子供が生まれました♪
小学校に入学しました♪
そんなやりとりをしてきた年賀状
毎年のように
今年こそ会いたいですね
なんて書面で交わす挨拶も
日々の忙しさの中で
流れていった月日が本当に懐かしい
ホントに何年ぶりの電話なんだろう
声を聞くのは
20年くらい過ぎてるのでしょうか
みほちゃん!!(≧▽≦)
まみちゃん!!(*´艸`*)
それは
電話口でも抱きあってるような
温かくくすぐったい感覚
そして三河弁
ほだらぁ(そうでしょう)
行ってみりん(行ってみて)
心地いいなぁ(*´∀`)
一瞬にして
あの頃の私たちになって
長々と話すわけでもなく
必要な会話をして
今年必ず会う段取りをして
愛知県の東と西と真ん中に住む
同級生3人
9月に再会の約束をしました
高校は女子校でした
信者というわけではなかったけれど
カトリックの高校
礼拝堂があったり
1年のときはシスターが担任でしたよ
賛美歌歌ったり
制服にはベレー帽
頭髪検査はとっても厳しくて
前髪は
眉毛が出ないといけないとかね(ノ´∀`*)
校則も変わったのかなぁ
高校や短大の頃は
よくお互いの家に泊まりあったり
朝まで袋いっぱいのお菓子を食べ尽くしながら
一晩中語り尽くしたっけ
そして結婚
相手の親と同居する結婚生活の友
自分の親と同居する結婚生活の友
核家族で親と離れて暮らす私の結婚生活
3人3様
写真とか持ってきてね〜☆
子供の成人式の写真とか見せあっこしよ☆
なんて言われて
娘の写真は小学生までしかなくて。。
言われたその一瞬は
自分の気持ちに向かい合うのだけれど
(それは全く想像していた自分とは違って)
思い出深いものを持っていくね♡
と喜んで返事をしている自分がいた
ずっと昔、娘が中学不登校を経験して
こちらの学校区の知人とは
自分から疎遠になっていきました
年賀状も子供のことに触れられると辛くって
少しずつご無礼させていただきながら
安心の枠の中で生きてきました
本人が嫌がったので中学からの写真は
ほとんどありません
成人式の写真もありません
私自身も大丈夫?って
声をかけられることすら辛かった時期があり
何を言えばいいのか分からずに
困惑される相手の心情を察知してしまう
そんな知人との
偶然の出会いすらも避けてました
それがいつしか習慣になって
私は人に壁を作り
辛くても悲しくても素直に見せずに
ただじっと心を閉ざして
何年もの間過ごしていたんだなぁ
我が家にお客様をお招きしたり
普通の当たり前のようで当たり前じゃない
贅沢で幸せな生活を取り戻しています
娘のことを聴かれることが
辛いって思い込んで
いつの時点の感情だったのかな
今また家の中に居場所を求める
娘との生活の中でも
学ぶことがたくさんあって
教えてもらうことがたくさんあって
辛かった記憶や体験が
感謝と喜びの体験に
変わっていくのを感じています
精一杯生きている娘を
高校のお友達に聴いてもらいたい
そう感じた一本の電話でした
突然の電話は
ありのままの独身の頃の私に戻り
そして一瞬にして様々な経験をしてきた
今の時点の自分に気がつく
それは別の自分が
自分を眺めているかのように
この20年を振り返るような
そんな電話でもありました
過去の体験や傷ついた記憶は
同じように傷つかない自分を護る為に
必要な
大切な記憶だったけれど
思い込みの中で
自分に制限をかけていた記憶でもあり
時間が解決してくれたことも
そう、もちろんあったけれど
1日1日に向かい合ってきたこの年月は
私の大切な人生の輝きでもありました
一人ひとりの方との出会いの中で
感謝と喜びの日々に
変わっていくのを感じています
一本の友からの電話
繋がる幸せに感謝します(*´∀`)
久しぶりに観たある日の夕焼け
今日も1日
本当にありがとう☆
読んでくださり
ありがとうございました☆


