占術家の細木数子さん、
小説家で尼僧の瀬戸内寂聴さんの訃報が
相次いで伝えられました。
お二人に共通するのは
波乱万丈の人生を生き抜いた経験と
それを通して得た、1本芯の通った考え方だったと思いますが、
発信の仕方はある意味真逆だったように感じます。
お二人とも多くの人に
生き方を説くという役割を果たされましたが、
その人の話を聞く時
怖れを感じるのか、和みを感じるのか、
大きく異なる導き方だったと思います。
もちろん僕なんかお二人について
とやかく言えるような人間じゃないのですが、
比べてしみじみと感じるのは
俺ってチキンだよな・・・という事。
確かに手相やことだまからは
色んなことがわかります。
それをシンプルにお伝えすればいいのだと
割り切って入るのですが。
やはり人様の人生に影響を与えるという
事の重大さには何年たっても慣れません(;'∀')。
鑑定の当たりはずれではなく、
鑑定がその人の人生の役に立てたかどうか。
(もちろん当たりはずれも大切ですが)
その人の辛さは、その人にしかわからない、と
僕は思っています。
それを痛感しているにもかかわらず、
時として理解の許容量が目減りして
(僕の精神バランスにもよると思いますが)
鑑定から得たアドバイスを
ただただ伝えてしまった日などは
かなりへこみます。
あの人は、もう自分の中に答えを持っていて
それを再確認しに来られただけだったのに・・。
あの人は自分の短所など重々わかっていて
でも直せないからこそ、相談に来られたのに・・。
毎度毎度、反省の繰り返しです
多分、ずっとこうなんだろうなと思います。
仮に僕が波乱万丈の人生を生きたとしても
僕は細木さんのようにも寂聴さんのようにもなれないです。
これも個性。
そ、わかっていても直せない。
チキンな鑑定師で精進していくしかないのだろうと思っています。
さてさて、母がインスタで知り合った方が
セラの人形を作って下さったそうで、
写真を送ってくれました。
ケースに入ったセラとお地蔵様人形1点と
セラだけのものが4点。
セラだけの方は、今度帰省した時、
僕と兄に、ひとつづくくれるそうです。
▼首の後ろにあるチョロッと白毛や
人面腹も作ってくれてあるんだって(≧▽≦)
▼これ何?って感じで見てるセラ
▼こちらは、まん丸になってお昼寝中
掛けてもらってるのは父の古い枕カバー
父はセラがまったりすると
すぐにブランケットを掛けようとします。
過保護街道まっしぐらのセラです(≧▽≦)。