2年とちょっとぶりの採血💉
久しぶりの埼玉医大(毛呂)に
来ています。
診察まで時間があるので
採決結果を待ちつつ、
病院内のタリーズで
抹茶ラテを飲んでます☕️

待ち時間も
実はけっこう好き
ふだん人並みに元気なので忘れますが、
わたし「バセドウ病」です。
2015年に一ヶ月弱入院し
二年間かけて寛解しました。
今はお薬の服用もなく、
ふだんの過ごし方に気をつける範囲で
体調キープできてます

今はこんなに元気な私も
入院した時は
心臓をやらかしていて
一週間、集中治療室で過ごしました。
心肺機能が
通常の30%
しか機能してなかったんだって。
やばっ


そのころの治療中のブログは
に残っています。
治療中の方は参考になると思うので
良かったら見てね✋
病気をする前も辛かったけど…
病気をした後の治療、
それ以上に退院後に
“どう生きたらいい?”
と生活から仕事から頭の中まで
生きるための
過去の自分との葛藤の日々…
まるで
修行僧のような数年間を
よくひとりで生き抜いたよ
よくがんばったよ、わたし。
人はいつ死ぬか
分からない。
それがよーっく
分かったから
私は病気をしたのを機に
「自分を生きる」
をはじめたのだ
バセドウ病ていうのは
完治するものではなく、
“寛解“がサイコーの状態です。
だから
このカラダに刻まれた
「バセドウ病」というのは
私にとって“刺青”みたいなものでさ。
「自分を生きる」
タトゥーみたいなもの
なの
ふだんの暮らしの中で
忘れそうになる
あの時の自分への誓いを、
こうやって定期検診に来たり
体調が崩れた時に思い出す。
将来のためにって
今をガマンして
お金を貯める人がいるけれど、
今の私には
さっぱり理解できない。
逆に
よく将来があるって
根拠もなく信じられるなぁ
って感心しちゃう
今目の前にあるものを
ありのままに見ている人は
実は本当に少なくて。
偉い人が言ったことや
知識のある人の言葉を
自分の真実だと
思い込んでる人ばかり。
私もずーっと
そうだったし、
まだまだ無意識で刷り込まれた
他人の真実に
気付き続ける日々です。
自分を生きるって
なんだろう?
と考えはじめた時、
一番最初にマインド設定として
チャレンジしたのはこれでした。
とにかく、
合っていようが間違っていようが
自分が感じたことに
OKを出す
実は嫌だったことを
ちゃんと嫌だって認めてあげる。
実はキライだって思った人を
(例え良い人でも、お世話になった人でも)
キライになる。
一般的にはこうあるべきことでも、
違うと感じる自分を無視しない。
良いことも、悪いことも、
ありのままに存在を認める。
エゲツない自分に
「でーすーよーねー
」
って味方になってあげる

私の中には
私自身を裁く裁判官がいて、
常に「良い」「悪い」で
ジャッジされ
見張られていたことに
気づいたの。
それが「自分」と癒着して
一体化してたから、
私は私が本当は何を感じて
何が好きで嫌なのかが
分からなくなっちゃってたんだよね

そこから
「自我システム」というものを知り、
“自分を責める自分”と
“ただ感じる自分”を切り離す
ことにチャレンジしはじめました
そう、これは
私がバセドウ病という病気になり
この病気を調べてゆくうちに
直感的に理解した
病気になる理由
の裏付けと解決の両方を
意味するものでした

つ・づ・く❤️
*中野ともみ*


