人様に迷惑をかけてはいけない。


ご迷惑のないように。


子供の頃からそのように言われて育ち、その言葉はあながち間違ってもないとも思う。


私が思うのは、「迷惑」の基準って人それぞれであり、迷惑だなって自分が思うことがそうじゃなかったりするし、逆もあると思う。


私の中での「迷惑」の基準はたとえば

自分が仕事でいっぱいいっぱいだったとして、隣の人に仕事を頼むのは「迷惑」なんじゃないかと思ってしまうとか。

(だって誰かにに仕事を頼んだらその分その人の仕事が増えてしまって結果的に迷惑かけてることになるよね?とか。)


深夜に大声で叫ぶとか明らかな場合は私も判断着くけど、日常でこれは迷惑じゃないかと考えてしまうことがある。


私の中に、

人に迷惑をかけられない=人に頼れない、全部自分で完結させないといけない


みたいな歪んだ価値観があったんだと思う。


人に頼れず自分で自分を追い込んだ結果、適応障害という形でその事に気付かされた。


迷惑はかけちゃだめだけど、誰かを頼ることは時には必要だし、誰かに頼った時にそれをどう受け止るかはその人の判断であり、自分が迷惑かどうか決めることではないんだよね。難しい。


自分の子供には、人に迷惑かけるなって言っちゃうけど、人に頼ることは悪いことじゃないんだよっていうのも同時に教えないといけないと強く思う。


適応障害で休職後復帰して、半年以上過ぎたけど、みんな頼んでも意外と快く引き受けてくれることを最近知った。


こんなにも世界は優しかったんだ。


頼み事をするのがとても苦手で、頼み事をすると嫌がられるとすら思っていた。


もっと人に頼ってよかったんだ。


出来ないことをできるフリして自分を追い込んでも苦しいし、結果的に周りに迷惑かけることになる。


それよりもできないことはできないって認めて、得意な人にお願いしたり、教えてもらったり、そうやって誰かに頼りながら生きていく方が何倍も楽だと思う。


こんなことも出来ないなんて。。って思ううちは、自分はできる人間だ。私ならやれる。とか無駄に思っちゃってるけど、


ポンコツな私、できない私、を認めたら、生きるのがずっと楽になったなぁと思う。


どこかで自分のことずっと特別な人間でなければならないとか思って生きてきたけど、40年弱生きてきてやっと、私普通の人間で、これ以上の特別な人間にはなれないと気づいた。


特別な人間でなければならない、は、親の期待に応えたい、親から認められたいだったのかも。


子供の頃の私に会えるなら言ってあげたいよ。


特別なあなたじゃなくたって、あなたの存在は素晴らしいんだから、みんなに頼って生きていいんだよ。ってね。