いつもどおりなら死んでいたかも? | TOMO's STYLE

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もう12年前になるが、かの有名な地下鉄サリン事件を覚えているだろうか?

被害に遭われた方は今もPTSDに苦しんでいると聴く。
実はあの日、私もいつもどおりなら・・・・被害者になっていたかもしれない。

あの事件で被害にあった地下鉄路線は3路線。今は東京メトロって呼んでいるが、
当時の呼称は営団地下鉄の日比谷線・千代田線・丸の内線。5本の電車にサリン
が撒かれた。

あの頃は結婚してまだ間もなく、ぼちぼち新しい利用経路に慣れだした頃。
都営新宿線を最寄駅から利用し、新宿3丁目駅で乗換、丸の内線に乗り勤務先へ。
乗換で私が利用しているのは「丸の内線 荻窪行き」。

あの日、いつもの時間通りに家を出たが、何故か都営新宿線が遅れていた。
遅れているといっても人身などによる大幅遅延ではなくラッシュによる若干の遅れ。
でも、この遅れは乗換の丸の内線接続時に1~2本後続の電車になる。
それは丸の内線の行先が’荻窪行き’か’中野富士見町行き’の2種類があるため、
ラッシュの時間帯は3本に1本は’中野富士見町行き’に。
’荻窪行き’にうまく接続できるかが微妙。
なわけで、その日はいつもの時間に乗る「丸の内線荻窪行き」には乗れずに後続
電車に乗ることになったのだが。

荻窪行きは私の乗る時点ではいつも空いて、乗客もほぼ変わらず定位置座り。
後続だったがいつもどおりに乗り、勤務先の最寄り駅に降りた。
ん?ホームでうずくまっている人がいる。。 具合悪いのかな?って思っていた。。
が、出勤して1~2時間経過した頃、突然、外出先の旦那っちやら友人やら実家
からも会社へ電話連絡が!!何事か?と思ったら、安否確認。状況が呑み込め
ていないかったので、連絡をくれた母から内容を聞いてビックリ!!

そう!地下鉄サリン事件が発生していたのだ。 ひえぇ~><

昼のニュースを見ていたら、日比谷線の被害の状況が刻々と伝えられていた。

仕事が終わり、ニュースや新聞を見たら更に衝撃的なことに!!
丸の内線の被害にあった電車の時間とサリンの置いてあった場所、いつも私が
利用している時間で座っている車両の定位置。。 あの倒れていた人はその被害
にあった人だったのだ!!!

心臓が止まりそうになった。。 
というよりも、衝撃が大きすぎて言葉で表現ができない。。顔面蒼白。
棚の上、イスの横など、どれを見てもビクついてしまう。
地下鉄に乗ることさえも出来なくなるのか?

地下鉄に乗ることに懸念を受けそうだった私を察してか、事実を知った旦那っち
(同じ勤務先)と当時の上司は、ありがたいことにそれから約2週間、通勤時は
地下鉄に一緒に乗車してくれた。 感謝!! そのおかげでトラウマにならずに
済んだのだが。。

以前読んだ本の中に「スタッグコール」という本がある。
これはサリン事件の当日に日比谷線の被害患者が殺到した聖路加病院の救急
Dr.が書いた本だが、この人も実は私と同じようなことを当日出勤時に体験して
いる。その日に限って彼は遅刻したらしい。で、免れた。

もしあの時、都営新宿線が遅れていなかったら、今、私はこの世にいなかった。

運が良かった。っていえばそれまでだが、なにか運命を感じずにはいられない。