美容室ジュエルです
今日は2ヶ月ぶりに実家へ帰りました。
いろいろな事情があり実家に帰るのを控えております。
母が亡くなりましたので
実家には父と兄夫婦、嫁の姪っ子が住んでおります。
兄夫婦は20年ほど一緒に住んでおり
嫁の姪っ子は母が亡くなって2週間後から住んでおります。
久しぶりの実家!
父が元気で過ごしているかいつも気がかりではあります。
自分の身の回りの全てを母に任せてきた父。昭和初期男性あるあるの典型の父です😅
なので
「男士台所に立つべからず!」
というタイプ。
母が生きていたころはそれが通用していましたが、
いなくなった今は自分でお茶を入れてます。
それを見た時の私の衝撃はかなりのものでした。
「父が自分でお茶を入れている!!すごい!」
初めて見たので驚きました。
もし、私が同居していたら父は母と同じように私を当てにしたでしょう。
しかし、今はお嫁さんに頼るしかありませんので、言えないのでしょうね😅
今日は父の健康状態の確認をしに帰りましたが、今のところ問題なさそうでした。
父から
「今日はイオンにショッピングに行きたい。その後俺が奢るから鰻を食べに行こう」と言うので
「いいよー😄行こう!」と車に乗せて連れて行きました。
イオンではいろいろゆーっくり吟味しながらオヤツをあれやこれやとどっさり買ってました笑
甘いものが昔から大好きな父。
変わってないなー😊と思いながら付き添いました。
その後、行く予定だった鰻屋さんが今日は店休日ではないはずなのに何故か閉まっていました💦💦
えーっ!?なんでー?😩
しかたなく他の鰻屋さんに行くことに。
都城はあまりたくさん鰻屋さんがないし、私も鰻屋さん行くことがほとんどないのでスマホで調べて近い場所の鰻屋さんに行くことに。
この暑さだし、ショッピングで結構歩いた父は少し疲れて見えましたので
早くしないと!と少し焦りました。
父はどうしても鰻が食べたいようでしたので、近場の鰻屋さんへ。
なにせもう90歳ですから😅
次に行った鰻屋さんに入り注文。
鰻がくるやいなや父が
「こんだけか。。」と
父は耳がほぼ聞こえませんので地声が大きいのですよ💦
思わず
「シー🤫」とサインを出しました😅
いや、説明をさせて頂きますと
父は70代で胃がんになり胃を全摘出してますのでたくさん食べられないのです。だから一番少ないものを私がオーダーしたので鰻屋さんに問題はありません。だって本当に少ししか食べられないのだから、残すほうが失礼かな、と思って一番少量のものを頼みました。
でもー!!
「こんだけか」って大きな声で😂
ヤーメーテー!!と思いますが
耳が聞こえないので何も言えず
ただ
シー🤫とジェスチャー笑
そして食べ始めたらいきなり
「不味い!!」とまた大きな声で😱
「おとーさーん!!お願い🙏黙ってて😂」という私の心の声😭
そして最初に少ない!と言ったにも関わらず一切れの鰻を私の御椀に
ペシっ!!
と投げ入れたのです。
不味くて食べれん!!と😩
相変わらずわがままな父です😂
でも娘の私だからそんなことができるのでしょうね。
お嫁さんだったら絶対してないよね?
と思います。
私でないと父は好き放題できない。
だからこそ私はその役目を果たしたいと思っています。
母はずっとその役目を果たしてきました。そんな母を見て育った私は時に父を憎みました。
母が可哀想だと思って。
でも、父が胃がんになったとき、
母は
「お父さんがいなくなったら生きていけない、私、どうしたいいの?」
と私に言ったんです。
その時すごく思ったのが
夫婦って本当にわからないなー
ということだったんですよ。
自分の親でありながら。
子供から見たら母は父に虐げられ束縛され自由を奪われ可哀想と思っていた。でも母は父がいなくなりそうになったとき、物凄く動揺し、お父さんがいなくなったら生きていけないと言ったんです。
私、本当に驚きました。
何故なら母から愛が見えたから。
確かに父は事業を起こしまあまあ成功し、金銭面の苦労はかけてこなかった。むしろ贅沢な暮らしを与えてくれた。でもワンマンだった。
私はそんな父をあまり好きではなかったけど、90歳になった今の父を見ていると優しくせずにはおれません。
今でも私にはキツイことを言うし鰻屋さんでも失礼なことを言うし😅
鰻を私の御椀に投げ入れたりするけど笑笑今は可愛いなって思えます。
正直母より先に死んで欲しかったし
(父を好きではなかったから)
胃がんになったから母より早く死ぬと思ってたけど、今もまあ元気に生きてます。
天命というものがあるんだなーと
つくづく感じる今日この頃です。
今は父が天命を全うするまで大切にしていきたいと思っております😊